1945年8月6日、5歳の夏、爆心地から約2kmの広島市段原新町(現在の南区段原)で被爆[1][6][16][18][19]。比治山の影となっていた段原は直接の熱線が届かなかったが、爆風に見舞われ家は倒壊した[2][6][20]。張本は赤い閃光を見た直後に意識を失い、意識が戻った後に記憶しているのは、張本をかばって覆いかぶさり、ガラスの破片で出血していた母の血の赤い色だった。その直後に避難場所で経験した人肉の焼ける強烈な臭い、叫声を上げながら猿猴川に飛び込み亡くなっていく人々、夜通し続くうめき声を、今でも忘れることはないという[2][5][14]。学徒勤労動員で比治山の西側にいた、当時14歳だった長女の点子は、大火傷を負い数日後に亡くなった[1][19][20]。点子の最後を看取った張本によれば、担架で運ばれた点子は全身にやけどをしていた。「『熱いよう、熱いよう。』母の懐でうめく点子にブドウを一房もぎ、口元で搾ってあげた。『ありがとう。』消えそうな声が最期だった」と語っている[21]。
エグすぎやろ…