【ローマ共同】ローマ教皇庁(バチカン)によると、前ローマ教皇ベネディクト16世が31日死去した。95歳だった。
https://www.sakigake.jp/news/article/20221231CO0048/
【訃報】ローマ教皇が死去
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1それでも動く名無し
2022/12/31(土) 19:55:12.90ID:gYWPraZW0219それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:10:35.68ID:6EXeyK7V0 前回で私は、米国社会でブッシュ・ネオコン政府を支えるユダヤ系中産階級をオプス・デイが盛んに取り込んでいる様子をお伝えした。しかし彼らにとって改宗は一大事ではないのか。いくら説教師ジョン・マックロウスキィの話術が巧みだとしてもそう簡単なことではないはずだ。確かにオプス・デイはバチカンを操り米国政府内への影響力も強いのだが、それならシオニスト勢力も同様でわざわざ宗旨替えまでする必要は無く、この教団の外で「協力者」の形で留まることも可能なのである。「ユダヤ人への迫害」があった過去とは違い改宗への圧力は無い。なぜ彼らは簡単に自分の今までの信仰を捨ててこの教団に加わるのだろうか。
本人も周囲も改宗にはさほど大きな抵抗は持っていないようである。これはひょっとすると、オプス・デイのあり方がユダヤ教とあまり離れておらず、ユダヤ人社会が「近縁の集団」という感覚をもってそれを見ているからではないだろうか。
ここでオプス・デイ自体から少し離れて、第2バチカン公会議(1963~65)を中心にカトリック近代史全般を見直してみる必要があるだろう。20世紀中盤にローマ・カトリックが変身する過程で頭角を現したのがオプス・デイなのである。同時にここにはユダヤ人とその巨大な思想潮流であるシオニズムが深く関与しているのだ。
本人も周囲も改宗にはさほど大きな抵抗は持っていないようである。これはひょっとすると、オプス・デイのあり方がユダヤ教とあまり離れておらず、ユダヤ人社会が「近縁の集団」という感覚をもってそれを見ているからではないだろうか。
ここでオプス・デイ自体から少し離れて、第2バチカン公会議(1963~65)を中心にカトリック近代史全般を見直してみる必要があるだろう。20世紀中盤にローマ・カトリックが変身する過程で頭角を現したのがオプス・デイなのである。同時にここにはユダヤ人とその巨大な思想潮流であるシオニズムが深く関与しているのだ。
220それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:10:37.62ID:8cDDGbl80 マジかよ
221それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:10:43.55ID:74CZ8Y3M0 スレタイ速報ワラワラで草
222それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:11:10.48ID:rcRJM1QZ0 考えてみたらクソどうでも良くて草生えた
223それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:11:21.92ID:6EXeyK7V0 ロスチャイルドとノガーラ]
バチカンとユダヤ資本の雄ロスチャイルド家との取引は19世紀初期にはすでに始まっていた。ナポレオン戦争によって財政的な困難を抱えたローマ教会は、グレゴリオ16世の時期にロンドンのカルマン・ロスチャイルドから5百万ポンドもの融資を受けていたのである。また1830年にはそれまで「金貸しは破門」とされていたラテラノ公会議の既定が改められ、「高利貸しでない限り許される」こととなった。これによって改宗ユダヤ人たちの金融活動も表立って可能となる。
1870年のイタリア統一の完成によって全ての教皇領を奪われたローマ教会は領地からの収入を絶たれ深刻な財政難に陥った。このときに資金援助を行ったのがパリのロスチャイルド家である。その後1929年にムッソリーニ政権とピオ11世との間でラテラノ条約が結ばれた。これによってバチカンは、当時のレートで8500万ドル、現在の約1500億円にあたる収入を得た上に、毎年イタリア政府からの資金提供を受けることとなった。さらにイタリア国内にあるバチカン所有の施設に(後にバチカンが行う投資にも)対しては非課税とされた。そして同じ1929年に教皇ピオ11世はバチカン内に「財産管理局」を作り、その運営を改宗ユダヤ人の一般信徒であるベルナルディーノ・ノガーラに一任した。当然だがこのことはノガーラがパリやロンドンのロスチャイルド家の信任を得ていたことを示している。
このようにローマは、ユダヤ人に「キリスト殺し」の汚名を着せる方針とは裏腹に、ユダヤ資本と表裏一体で活動してきた、といえる。逆に言えばカトリックの「反ユダヤ主義」はこの関係を覆い隠す煙幕としても機能したのだろう。ちなみにラテラノ条約締結の前年1928年にマドリッドでオプス・デイが誕生している。また財政管理局は1942年に「宗教活動協会(IOR)」俗に言うバチカン銀行と改名された。
バチカンとユダヤ資本の雄ロスチャイルド家との取引は19世紀初期にはすでに始まっていた。ナポレオン戦争によって財政的な困難を抱えたローマ教会は、グレゴリオ16世の時期にロンドンのカルマン・ロスチャイルドから5百万ポンドもの融資を受けていたのである。また1830年にはそれまで「金貸しは破門」とされていたラテラノ公会議の既定が改められ、「高利貸しでない限り許される」こととなった。これによって改宗ユダヤ人たちの金融活動も表立って可能となる。
1870年のイタリア統一の完成によって全ての教皇領を奪われたローマ教会は領地からの収入を絶たれ深刻な財政難に陥った。このときに資金援助を行ったのがパリのロスチャイルド家である。その後1929年にムッソリーニ政権とピオ11世との間でラテラノ条約が結ばれた。これによってバチカンは、当時のレートで8500万ドル、現在の約1500億円にあたる収入を得た上に、毎年イタリア政府からの資金提供を受けることとなった。さらにイタリア国内にあるバチカン所有の施設に(後にバチカンが行う投資にも)対しては非課税とされた。そして同じ1929年に教皇ピオ11世はバチカン内に「財産管理局」を作り、その運営を改宗ユダヤ人の一般信徒であるベルナルディーノ・ノガーラに一任した。当然だがこのことはノガーラがパリやロンドンのロスチャイルド家の信任を得ていたことを示している。
このようにローマは、ユダヤ人に「キリスト殺し」の汚名を着せる方針とは裏腹に、ユダヤ資本と表裏一体で活動してきた、といえる。逆に言えばカトリックの「反ユダヤ主義」はこの関係を覆い隠す煙幕としても機能したのだろう。ちなみにラテラノ条約締結の前年1928年にマドリッドでオプス・デイが誕生している。また財政管理局は1942年に「宗教活動協会(IOR)」俗に言うバチカン銀行と改名された。
224それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:11:27.31ID:mHvB3cVL0 やっぱりジェダイがナンバーワン
225それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:11:36.02ID:noynBTW/a ロロロローマー
226それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:11:52.49ID:1PMi1243a FGOで実装やな
227それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:11:54.14ID:rcRJM1QZ0 この死はなんか俺達の人生に関係あるんか?
228それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:11:54.62ID:RbGmUtyOM229それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:11:55.15ID:X/L61fCz0 性的虐待集団
230それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:11:58.00ID:8cDDGbl80 >>147
手から電撃出てそう
手から電撃出てそう
231それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:12:02.99ID:6EXeyK7V0 欧州が戦争に向かうことに気付いたノガーラはイタリアの軍需産業の多くに、事実上企業を買い取るまでに投資した。こうしてムッソリーニ政権によるアビシニア侵攻とそれに続く第2次世界大戦の間に、ヒトラーからの「教会税」収入、イタリアおよび各国の軍需関連産業からの収益などで、バチカンは巨万の富を稼ぐことになる。米国の「黒い法王」フランシス・スペルマン枢機卿はノガーラの偉大さを「イエス・キリストに次ぐ」と表現した。本音は「キリストよりも」だったろうが。
もっとも、教皇ピオ12世とその一族であるパセッリ家、後にバチカン銀行総裁となるP2マフィアの統領ミケーレ・シンドーナや「シカゴのゴッドファーザー」ポール・マーチンクスらが作り上げた、麻薬や武器取引等の闇資金洗浄による「上がり」を含む収益は、ノガーラのそれよりもはるかに大きいと言われている。しかしその先鞭をつけたのはこの男である。
バチカンとユダヤとの関係は財政面にとどまるはずがなかった。ローマ教会がローマ帝国の延長であり、欧州、ひいては世界の政治的支配を目指す方向性を内包している以上、バチカンとユダヤの関係は次の局面に向かわざるを得ないのだ。
なお、バチカン銀行の資産運用は長年アンブロシアーノ銀行が行っていたが、例のP2がらみのスキャンダルで1982年に同銀行が倒産して以来、主にロスチャイルド銀行とクレディ・スイス銀行が行っている。
もっとも、教皇ピオ12世とその一族であるパセッリ家、後にバチカン銀行総裁となるP2マフィアの統領ミケーレ・シンドーナや「シカゴのゴッドファーザー」ポール・マーチンクスらが作り上げた、麻薬や武器取引等の闇資金洗浄による「上がり」を含む収益は、ノガーラのそれよりもはるかに大きいと言われている。しかしその先鞭をつけたのはこの男である。
バチカンとユダヤとの関係は財政面にとどまるはずがなかった。ローマ教会がローマ帝国の延長であり、欧州、ひいては世界の政治的支配を目指す方向性を内包している以上、バチカンとユダヤの関係は次の局面に向かわざるを得ないのだ。
なお、バチカン銀行の資産運用は長年アンブロシアーノ銀行が行っていたが、例のP2がらみのスキャンダルで1982年に同銀行が倒産して以来、主にロスチャイルド銀行とクレディ・スイス銀行が行っている。
232それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:12:11.83ID:drLS64Hh0 ローマ教皇と天皇ってどっちの方が凄いんや?
233それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:12:11.93ID:bXrUotYW0 法王と天皇陛下どっちが格上?
234それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:12:12.07ID:kbJd/cMXM ラツィンガー、お前と戦いたかった
235それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:12:26.83ID:cVaobXSI0 初めて聞く名だねぇ
236それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:12:31.85ID:qwPgl2pfd 殺意満々のキュベレイみたいな人?
それなら残念やな
それなら残念やな
237それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:12:35.87ID:N86eCPD10 体調悪いとか言ってたけど新年迎えずにダース・シディアスのそっくりさん亡くなったのか
238それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:12:38.08ID:yRD9ZgII0 小さく醜い緑色の友よ…お前と闘いたかった…
239それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:12:40.77ID:6EXeyK7V0 シヨン運動と第2バチカン公会議]
1910年、時のローマ教皇ピオ10世は特別の回勅によって、あるカトリック内の団体を厳しく非難しその活動停止と解散を命じた。その団体とはフランス人マルク・サンニエが率いるシヨン(Sillon)運動である。
サンニエはカトリックに「自由、平等、友愛」のフランス革命の理想を導入し、社会主義的な改革運動を起こして1894年に機関紙ル・シヨンを創刊した。教皇庁は、当初は貧しい労働者や農民たちに対する救済活動、カトリック精神に基づいた慈善として評価したが、やがてそれが良心への信頼と信教の自由、聖職者と平信徒の平等など、教会の根本を揺るがしかねない側面が強調されるに及んで、これを厳しく取り締まった。教皇は、この運動が持つ、カトリックを滅ぼし「世界統一宗教」を形作るフリーメーソン的な方向性を見抜いたのである。
《注記:この点については、ひょっとすると、「イスラエル:暗黒の源流 ジャボチンスキーとユダヤ・ファシズム」の「第10部 近代欧州史の深奥 」にある「[偽預言者の系譜]」の中にある内容と関係があるのかもしれない。》
サンニエはピオ10世の命令に素直に従いシヨン運動を自ら解散させたが、彼自身はその後、国会議員を何期も務めユースホステルの普及に尽力するなど、キリスト教民主主義左派の政治家として活躍し、1950年に他界した。
このシヨン運動の持つ様々な面が後の第2バチカン公会議での決定事項と余りにも多くの共通点を持っていることには驚かされる。
1910年、時のローマ教皇ピオ10世は特別の回勅によって、あるカトリック内の団体を厳しく非難しその活動停止と解散を命じた。その団体とはフランス人マルク・サンニエが率いるシヨン(Sillon)運動である。
サンニエはカトリックに「自由、平等、友愛」のフランス革命の理想を導入し、社会主義的な改革運動を起こして1894年に機関紙ル・シヨンを創刊した。教皇庁は、当初は貧しい労働者や農民たちに対する救済活動、カトリック精神に基づいた慈善として評価したが、やがてそれが良心への信頼と信教の自由、聖職者と平信徒の平等など、教会の根本を揺るがしかねない側面が強調されるに及んで、これを厳しく取り締まった。教皇は、この運動が持つ、カトリックを滅ぼし「世界統一宗教」を形作るフリーメーソン的な方向性を見抜いたのである。
《注記:この点については、ひょっとすると、「イスラエル:暗黒の源流 ジャボチンスキーとユダヤ・ファシズム」の「第10部 近代欧州史の深奥 」にある「[偽預言者の系譜]」の中にある内容と関係があるのかもしれない。》
サンニエはピオ10世の命令に素直に従いシヨン運動を自ら解散させたが、彼自身はその後、国会議員を何期も務めユースホステルの普及に尽力するなど、キリスト教民主主義左派の政治家として活躍し、1950年に他界した。
このシヨン運動の持つ様々な面が後の第2バチカン公会議での決定事項と余りにも多くの共通点を持っていることには驚かされる。
240それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:12:42.72ID:EeoodE6L0 >>1
父と子と精霊の御名によって アメーン
父と子と精霊の御名によって アメーン
241それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:12:43.78ID:AL5yugTi0242それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:13:07.63ID:sDFZM+Kg0 煙突から煙出す奴やるんか?
天使と悪魔で観た
天使と悪魔で観た
243それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:13:11.20ID:6EXeyK7V0 これらはすべてサンニエの運動によって提唱・実行されたものであり、またオプス・デイおよびイエズス会「解放の神学」派によって強力に実現されている。ただしその前者はより資本主義的、強権的であり、後者はより社会主義的、リベラルであって、冷戦の時代にはそれぞれ「右派」「左派」として厳しく対立することとなった。
ピオ10世によって断ち切られたはずのシヨン運動は、実はそれ以降のローマ教会の中に深く浸透しいつの間にか主流派を形作っていたのである。教皇がシヨン関係者を全員破門しなかったことは彼にとって最大の失敗だっただろう。
ここで二人の人物に注目したい。一人はベルギーのジョゼフ・カルディジン(第2公会議の際には枢機卿)、そしてもう一人がイタリアのアンジェロ・ロンカッリ(後の教皇ヨハネス23世)である。
まずカルディジン(1882~1967)だが、彼は1925年(一説には1912年)に作られたベルギーのカトリック団体「キリスト教青年労働者運動」の初代の主任司祭である。この団体はシヨン運動の理念をそのまま引き継いだといえる青年組織であり、現在でも存在する。
彼は同時に第2バチカン公会議の主役の一人であり、先ほどの改革の中で、【1】「信教の自由と人間の良心への信頼」と「【3】教会と一般世俗社会との密接で積極的な関係作り」の原稿作成には、彼とその仲間であるピエトロ・パヴァン神父が中心的に関わった。彼らはその他多くの案文作成に参加したが、信教の自由に関する部分は米国のイエズス会士でスペルマンの愛弟子ジョン・コートニー・マレー神父が仕上げた。
次のロンカッリ(1881~1963)だが、1950年にマルク・サンニエが死亡した直後にその未亡人に手紙を出し、シヨン運動とサンニエを絶賛している。要するにバチカン中枢部にあって「隠れシヨン」の筆頭だったのだ。彼が教皇に選出された不審な経過については後述するが、1958年に教皇位について直ちに公会議召集を発表し、死亡するまでのわずか5年間の任期をこの公会議のために捧げ尽くした。まさにそのためだけに教皇になったような男だったのだが、同時に彼はシオニスト・ユダヤ組織との深い関係を指摘されている。
ピオ10世によって断ち切られたはずのシヨン運動は、実はそれ以降のローマ教会の中に深く浸透しいつの間にか主流派を形作っていたのである。教皇がシヨン関係者を全員破門しなかったことは彼にとって最大の失敗だっただろう。
ここで二人の人物に注目したい。一人はベルギーのジョゼフ・カルディジン(第2公会議の際には枢機卿)、そしてもう一人がイタリアのアンジェロ・ロンカッリ(後の教皇ヨハネス23世)である。
まずカルディジン(1882~1967)だが、彼は1925年(一説には1912年)に作られたベルギーのカトリック団体「キリスト教青年労働者運動」の初代の主任司祭である。この団体はシヨン運動の理念をそのまま引き継いだといえる青年組織であり、現在でも存在する。
彼は同時に第2バチカン公会議の主役の一人であり、先ほどの改革の中で、【1】「信教の自由と人間の良心への信頼」と「【3】教会と一般世俗社会との密接で積極的な関係作り」の原稿作成には、彼とその仲間であるピエトロ・パヴァン神父が中心的に関わった。彼らはその他多くの案文作成に参加したが、信教の自由に関する部分は米国のイエズス会士でスペルマンの愛弟子ジョン・コートニー・マレー神父が仕上げた。
次のロンカッリ(1881~1963)だが、1950年にマルク・サンニエが死亡した直後にその未亡人に手紙を出し、シヨン運動とサンニエを絶賛している。要するにバチカン中枢部にあって「隠れシヨン」の筆頭だったのだ。彼が教皇に選出された不審な経過については後述するが、1958年に教皇位について直ちに公会議召集を発表し、死亡するまでのわずか5年間の任期をこの公会議のために捧げ尽くした。まさにそのためだけに教皇になったような男だったのだが、同時に彼はシオニスト・ユダヤ組織との深い関係を指摘されている。
244それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:13:11.32ID:4/1iSlel0 >>232
日本やで
日本やで
245それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:13:19.84ID:0dcsotq7p このスレの奴らにマジメに聞きたい
俺は35で職歴なしの男なんだけど
親父に「ローマ教皇さん、自殺したって」って言ったら
「ああいう人が死んで、お前みたいなのが生きてるって世の中理不尽だよな
代わりにお前が4ねばよかったよ」って言われたんだが
こんなこと言ってくる親って、お前ら的にどう思う?
俺は35で職歴なしの男なんだけど
親父に「ローマ教皇さん、自殺したって」って言ったら
「ああいう人が死んで、お前みたいなのが生きてるって世の中理不尽だよな
代わりにお前が4ねばよかったよ」って言われたんだが
こんなこと言ってくる親って、お前ら的にどう思う?
246それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:13:37.24ID:EeoodE6L0 コンクラーベやるの?
247それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:13:38.37ID:6EXeyK7V0 彼は先ほどの「【2】非キリスト教(特にユダヤ教)との対話と協調」に力を注いだが、これによって同時に、キリスト教内他宗派との一致運動であるエキュメニズムも大々的に進められることとなった。オプス・デイの創始者ホセ・マリア・エスクリバーは、「すでに1950年に聖座はオプス・デイがカトリックでない人やキリスト者でない人々を協力者として受け入れることを認めた」と豪語した。彼はヨハネス23世に「私は教皇様からエキュメニズムを学んだのではありません」とまで語っている。
オプス・デイは「シヨン運動」について直接に言及はしていないが、教団支持者でバチカン国務長官のアンジェロ・ソダノが、シヨンの延長である「キリスト教青年労働者運動」を絶賛した。またオプス・デイの操り人形ヨハネ・パウロ2世はシヨンの基本精神であったフランス革命の理念をシラク大統領の前で褒め称えたのである。「自由、平等、友愛」というフリーメーソンの合言葉は、本来のカトリックから最も忌み嫌われたものであったのだ。オプス・デイの思想と理念に関してはいずれ稿を改めて詳しくご説明することにしたいが、シヨンとの類似性は明らかである。
ところでこのシヨン運動つまりシヨニズムは、フランス語の発音ではシオニズムと似ておりしばしば間違えられたという。また第1回シオニスト会議がスイスのバーゼルで開かれたのが1897年であり両者はほぼ同時期に活動を始めている。しかしそれ以外にこの二つは実質的な接触点をも持っている。ここでやはりヨハネス23世に注目しなければならない。このイタリア人がシヨンとシオンを結びつける鍵を握っているのだ。
オプス・デイは「シヨン運動」について直接に言及はしていないが、教団支持者でバチカン国務長官のアンジェロ・ソダノが、シヨンの延長である「キリスト教青年労働者運動」を絶賛した。またオプス・デイの操り人形ヨハネ・パウロ2世はシヨンの基本精神であったフランス革命の理念をシラク大統領の前で褒め称えたのである。「自由、平等、友愛」というフリーメーソンの合言葉は、本来のカトリックから最も忌み嫌われたものであったのだ。オプス・デイの思想と理念に関してはいずれ稿を改めて詳しくご説明することにしたいが、シヨンとの類似性は明らかである。
ところでこのシヨン運動つまりシヨニズムは、フランス語の発音ではシオニズムと似ておりしばしば間違えられたという。また第1回シオニスト会議がスイスのバーゼルで開かれたのが1897年であり両者はほぼ同時期に活動を始めている。しかしそれ以外にこの二つは実質的な接触点をも持っている。ここでやはりヨハネス23世に注目しなければならない。このイタリア人がシヨンとシオンを結びつける鍵を握っているのだ。
248それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:13:44.49ID:Kx3bFJJb0 ベネディクト99世はエッグベネディクトの由来として知られており、教皇就任後に教皇印のエッグベネディクトを販売し
バチカンに巨万の富を生み出し畏敬の念を持って尊敬されている
バチカンに巨万の富を生み出し畏敬の念を持って尊敬されている
249それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:13:48.41ID:RbGmUtyOM >>232,233
日本人にとって天皇以上の宗教的権威は存在せんぞ
日本人にとって天皇以上の宗教的権威は存在せんぞ
250それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:13:50.95ID:OOVU7Hk50 根比べせなな
251それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:13:56.10ID:fE8zOH5V0 根比ーべで勝負や
252それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:13:57.70ID:QmKJ/TmT0 マジ?
キリシタン年こせんやん
キリシタン年こせんやん
253それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:14:13.34ID:ddTTyqEu0 >>245
親に深く同情する
親に深く同情する
254それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:14:14.68ID:V4juq3kRM255それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:14:18.77ID:6EXeyK7V0 1958年のバチカン・クーデター]
ヒトラーとファシズムを支持しマモン(貨幣の悪魔)の教皇であったピオ12世が死亡して、シヨン運動の賛美者アンジェロ・ロンカッリがヨハネス23世となったのが1958年のコンクラーベ(教皇選出の選挙)だったのだが、この選出には現在までも重大な疑惑が叫ばれている。
システィナ礼拝堂に集まった枢機卿たちによる3回目の投票の後、礼拝堂から「新教皇誕生」を告げる白い煙が上がった。FBIによるとこのときジュセッペ・シリ枢機卿(1906~89)が選出されたそうである。彼には「グレゴリオ17世」の名前が用意された。しかし理由は分からないが、じきにその「白い煙」は取り消され、再度投票が行われて選出されたのがロンカッリである。
コンクラーベには秘密主義が貫かれており、そのときの様子を書き残す文書は公表されない。しかし人の口に戸を立てることは不可能だ。現在でも一部のカトリック信徒はこのコンクラーベでシリが選出されたことを固く信じている。
シリはピオ10世の流れを汲む伝統主義的カトリックであり、この「グレゴリオ17世」が即位していたならば公会議が召集されることは絶対に無かっただろう。噂によるとシリは、彼が教皇になれば「東欧でカトリック教徒のボグロム(集団虐殺)が起こる」という情報を聞いて辞退を決意したという。東欧は宗教を禁圧する共産主義に支配されていた。彼は亡くなるまで沈黙を守ったが、1986年のインタビューで「私は秘密に縛られている。この秘密は恐ろしい。・・・。非常に深刻なことが起きている。しかし私は何も言う事ができない。」と答えているのだ。
シリに「ボグロム」の情報を伝えたのはイエズス会神父で改宗ユダヤ人一族のマラキ・マーチンであると伝えられる。マーチンはルーヴァン・カトリック大学やオックスフォード大学、ヘブライ大学で学び、このコンクラーベの直前に僧職に就いて、やはり改宗ユダヤ人と言われるアウグスティン・ベア枢機卿の私設秘書となった。そして第2公会議ではベアと共に公会議の要点の「【2】非キリスト教との対話と協調」の原案作成に力を尽くした。そしてそのメドが付いた64年にバチカンの僧侶を辞め、以後作家として活躍して1999年に死亡した。
ヒトラーとファシズムを支持しマモン(貨幣の悪魔)の教皇であったピオ12世が死亡して、シヨン運動の賛美者アンジェロ・ロンカッリがヨハネス23世となったのが1958年のコンクラーベ(教皇選出の選挙)だったのだが、この選出には現在までも重大な疑惑が叫ばれている。
システィナ礼拝堂に集まった枢機卿たちによる3回目の投票の後、礼拝堂から「新教皇誕生」を告げる白い煙が上がった。FBIによるとこのときジュセッペ・シリ枢機卿(1906~89)が選出されたそうである。彼には「グレゴリオ17世」の名前が用意された。しかし理由は分からないが、じきにその「白い煙」は取り消され、再度投票が行われて選出されたのがロンカッリである。
コンクラーベには秘密主義が貫かれており、そのときの様子を書き残す文書は公表されない。しかし人の口に戸を立てることは不可能だ。現在でも一部のカトリック信徒はこのコンクラーベでシリが選出されたことを固く信じている。
シリはピオ10世の流れを汲む伝統主義的カトリックであり、この「グレゴリオ17世」が即位していたならば公会議が召集されることは絶対に無かっただろう。噂によるとシリは、彼が教皇になれば「東欧でカトリック教徒のボグロム(集団虐殺)が起こる」という情報を聞いて辞退を決意したという。東欧は宗教を禁圧する共産主義に支配されていた。彼は亡くなるまで沈黙を守ったが、1986年のインタビューで「私は秘密に縛られている。この秘密は恐ろしい。・・・。非常に深刻なことが起きている。しかし私は何も言う事ができない。」と答えているのだ。
シリに「ボグロム」の情報を伝えたのはイエズス会神父で改宗ユダヤ人一族のマラキ・マーチンであると伝えられる。マーチンはルーヴァン・カトリック大学やオックスフォード大学、ヘブライ大学で学び、このコンクラーベの直前に僧職に就いて、やはり改宗ユダヤ人と言われるアウグスティン・ベア枢機卿の私設秘書となった。そして第2公会議ではベアと共に公会議の要点の「【2】非キリスト教との対話と協調」の原案作成に力を尽くした。そしてそのメドが付いた64年にバチカンの僧侶を辞め、以後作家として活躍して1999年に死亡した。
256それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:14:21.19ID:N86eCPD10 >>242
コンクラーヴェは現教皇が代替わりする時にやるもんやからじゃないから前任者が死んだところでやらないぞ
コンクラーヴェは現教皇が代替わりする時にやるもんやからじゃないから前任者が死んだところでやらないぞ
257それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:14:30.11ID:NQPloiAF0 あのラスボス的な邪悪な写真出回ってる人?
258それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:14:36.63ID:VsGo/NTLd あんま絡みないけどご冥福をお祈りします
259それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:14:41.78ID:EeoodE6L0 >>245
キリストの愛を説いてやれ
キリストの愛を説いてやれ
260それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:14:59.47ID:6EXeyK7V0 6年の間バチカンに入り込んだこの男の目的は、ヨハネス23世を誕生させて公会議を準備し、カトリックとユダヤを結びつけることであったのだろう。その背後には世界ユダヤ人会議やフリーメーソンのユダヤ・ロッジであるブナイ・ブリスがいたといわれ、保守的カトリック信徒の中には彼を「シオニストのスパイ」と非難する人もいる。
幻の「グレゴリオ17世」の話が事実ならまさにクーデターに他なるまい。バチカン・クーデターはその後に起こったヨハネ・パウロ1世の怪死の際にもささやかれた。そしてそのどちらにも国際的なユダヤ勢力の影がちらつく。
[そして公会議:第6部のまとめと次回予告]
ヨハネス23世(アンジェロ・ロンカッリ)は教皇に就任するが早いか公会議の召集を検討し始めた。準備期間を経て1962年10月に公会議は始まり、途中の63年6月にはヨハネス23世死去のため中断したが、跡を継いだパウロ6世(その選出にも多くの疑惑がささやかれている)の尽力によって、1965年12月にこのカトリック大改造は完成した。そしてこの、ちょうどサナギから成虫の姿を現すような変身の中から、オプス・デイが大きく姿を現してくるのである。
しかしそれにしても、この「クーデター」の可能性すらある疑惑のコンクラーベで選ばれ、第2公会議のためだけに教皇位を全うしたヨハネス23世とはどんな人物だったのか。彼とユダヤ・シオニスト勢力、およびオプス・デイとの関係は何なのか。この公会議で何がどのように変わったのか。次回『第7部:十字架とダビデの星(中)』では、現代世界史の最も重要な鍵の一つを握るこの教皇とその背後関係、そして第2バチカン公会議の中身を中心に述べていくことにしたい。
幻の「グレゴリオ17世」の話が事実ならまさにクーデターに他なるまい。バチカン・クーデターはその後に起こったヨハネ・パウロ1世の怪死の際にもささやかれた。そしてそのどちらにも国際的なユダヤ勢力の影がちらつく。
[そして公会議:第6部のまとめと次回予告]
ヨハネス23世(アンジェロ・ロンカッリ)は教皇に就任するが早いか公会議の召集を検討し始めた。準備期間を経て1962年10月に公会議は始まり、途中の63年6月にはヨハネス23世死去のため中断したが、跡を継いだパウロ6世(その選出にも多くの疑惑がささやかれている)の尽力によって、1965年12月にこのカトリック大改造は完成した。そしてこの、ちょうどサナギから成虫の姿を現すような変身の中から、オプス・デイが大きく姿を現してくるのである。
しかしそれにしても、この「クーデター」の可能性すらある疑惑のコンクラーベで選ばれ、第2公会議のためだけに教皇位を全うしたヨハネス23世とはどんな人物だったのか。彼とユダヤ・シオニスト勢力、およびオプス・デイとの関係は何なのか。この公会議で何がどのように変わったのか。次回『第7部:十字架とダビデの星(中)』では、現代世界史の最も重要な鍵の一つを握るこの教皇とその背後関係、そして第2バチカン公会議の中身を中心に述べていくことにしたい。
261それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:15:26.24ID:Ex1Pqnh10 で、ワイらに関係あるんか?
262それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:15:27.14ID:EeoodE6L0 天使と悪魔 ダヴィンチコード見直すか
263それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:15:31.17ID:N5Rh/rjL0 シスの暗黒卿亡くなったんか
264それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:15:32.12ID:Eq1ArAjr0 国葬反対派どうすんのよこれ
265それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:15:34.20ID:6EXeyK7V0 ヨハネス23世とシオニスト・ユダヤ]
アンジェロ・ジュゼッペ・ロンカッリは、1881年に貧しい小作農の息子としてイタリアの片田舎に生まれた。彼は後に教皇ヨハネス23世となるのだが、それまでの彼の経歴の中に注目すべき時期がある。
1935年から44年にかけてロンカッリ大司教はバチカンの大使としてトルコおよびギリシャにいた。その地で、彼は自分のオフィスを使って、ナチス・ドイツの手から逃れる数万人とも言われる東欧のユダヤ人たちをパレスチナへ移送するのために、あらゆる手を尽したのである。
《注記:この点については「イスラエル:暗黒の源流 ジャボチンスキーとユダヤ・ファシズム」の「第9部 近代十字軍」にある「[トルコとイスラエル]」を参照のこと》
東欧一帯のカトリック司教会に命じて、衣服や食料の支給などはもとより、大量の偽の改宗証明書を安全確保の手段としてユダヤ人たちに渡す、カトリック修道会の通信網をシオニスト・エージェントに使わせる、といったことまで行った。
現在までもロンカッリはADLなどのシオニスト組織から絶賛されている。後に彼がヨハネス23世として聖座に上ったときに、ユダヤ人たちが支配力を持つニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストなどの米国の大新聞は一様に歓迎の意を表明した。それまではユダヤ人に「キリスト殺し」の汚名を着せるローマ教会に対して常に冷ややかな報道をしていたのである。
アンジェロ・ジュゼッペ・ロンカッリは、1881年に貧しい小作農の息子としてイタリアの片田舎に生まれた。彼は後に教皇ヨハネス23世となるのだが、それまでの彼の経歴の中に注目すべき時期がある。
1935年から44年にかけてロンカッリ大司教はバチカンの大使としてトルコおよびギリシャにいた。その地で、彼は自分のオフィスを使って、ナチス・ドイツの手から逃れる数万人とも言われる東欧のユダヤ人たちをパレスチナへ移送するのために、あらゆる手を尽したのである。
《注記:この点については「イスラエル:暗黒の源流 ジャボチンスキーとユダヤ・ファシズム」の「第9部 近代十字軍」にある「[トルコとイスラエル]」を参照のこと》
東欧一帯のカトリック司教会に命じて、衣服や食料の支給などはもとより、大量の偽の改宗証明書を安全確保の手段としてユダヤ人たちに渡す、カトリック修道会の通信網をシオニスト・エージェントに使わせる、といったことまで行った。
現在までもロンカッリはADLなどのシオニスト組織から絶賛されている。後に彼がヨハネス23世として聖座に上ったときに、ユダヤ人たちが支配力を持つニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストなどの米国の大新聞は一様に歓迎の意を表明した。それまではユダヤ人に「キリスト殺し」の汚名を着せるローマ教会に対して常に冷ややかな報道をしていたのである。
266それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:15:46.41ID:EeoodE6L0 クリスチャンいる?話そうぜ
268それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:15:57.64ID:lSFAWCEC0 今年ラストに超大物で草
269それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:15:59.48ID:CyUbNoBn0 歴代教皇眺めてるとひょっとして在位長いヨハネパウロ2世ってすごかったのか?
270それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:16:07.45ID:0XtHB7a50 えショック
271それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:16:09.50ID:6EXeyK7V0 また1963年に彼が死去した後に創設されたヨハネス23世基金は、ボローニャ大学と提携して、特にキリスト教とユダヤ教の相互理解を目的とした宗教研究と交流を行っている。また彼の名をとったロンカッリ委員会は、世界各国の閣僚クラスや市長、科学者、作家、ホロコースト研究者、ユダヤ教とキリスト教の関係者などを集め、「ロンカッリによるユダヤ人救出とホロコーストの事実」を踏まえて、彼の徳を称えると同時にホロコースト史観の徹底に努めている。
この261代ローマ教皇の選出の際に起こったとされる不可解な出来事と彼の第2バチカン公会議(1962-65)に果した役割については、前回ご説明した。しかし彼に関する不可解な点は1958年に行われた教皇選挙のコンクラーベばかりではない。彼とシオニスト・ユダヤとの関係は相当に深い根を持っている可能性がある。
彼は1905年に正式にカトリックの僧侶となった。彼がどのような経緯でバチカンの上層部に食い入ったのかは分からないが、1921年にベネディクト15世によって信仰伝道会のイタリア代表に任命された。1925年にはピオ11世によって、バチカン大使に相当する役職でブルガリアに派遣され、同時にギリシャの名誉司教にも就いている。そして1935年に、ピオ11世の命で大司教としてトルコへと向かったのである。
それにしても、ローマ教会のような千数百年の歴史を持ち「伏魔殿」とすらいわれる巨大な権力機構の中で、一介の貧しい農民の息子が次々と要職の階段を登り教皇の座に就くまでになる、というのは少々現実味に欠ける。彼の前任者エウジェニオ・パセッリ(ピオ12世)は歴代の教皇を輩出してきた高名な貴族の家柄であり、その前のピオ11世(アチッレ・ラッティ)は大富豪の絹織物工場所有者の息子、ロッカッリの後に続くパウロ6世(ジョバンニ・モンティーニ)もやはり貴族出身の身である
この261代ローマ教皇の選出の際に起こったとされる不可解な出来事と彼の第2バチカン公会議(1962-65)に果した役割については、前回ご説明した。しかし彼に関する不可解な点は1958年に行われた教皇選挙のコンクラーベばかりではない。彼とシオニスト・ユダヤとの関係は相当に深い根を持っている可能性がある。
彼は1905年に正式にカトリックの僧侶となった。彼がどのような経緯でバチカンの上層部に食い入ったのかは分からないが、1921年にベネディクト15世によって信仰伝道会のイタリア代表に任命された。1925年にはピオ11世によって、バチカン大使に相当する役職でブルガリアに派遣され、同時にギリシャの名誉司教にも就いている。そして1935年に、ピオ11世の命で大司教としてトルコへと向かったのである。
それにしても、ローマ教会のような千数百年の歴史を持ち「伏魔殿」とすらいわれる巨大な権力機構の中で、一介の貧しい農民の息子が次々と要職の階段を登り教皇の座に就くまでになる、というのは少々現実味に欠ける。彼の前任者エウジェニオ・パセッリ(ピオ12世)は歴代の教皇を輩出してきた高名な貴族の家柄であり、その前のピオ11世(アチッレ・ラッティ)は大富豪の絹織物工場所有者の息子、ロッカッリの後に続くパウロ6世(ジョバンニ・モンティーニ)もやはり貴族出身の身である
272それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:16:15.61ID:Ac0Y6rDKM >>256
どう打ち間違えたのかさっぱり想像できねえ文章やな
どう打ち間違えたのかさっぱり想像できねえ文章やな
273それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:16:24.61ID:viSsG50J0 こいつのおかげでコンクラーベって単語を知ったわ
274それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:16:25.44ID:Jnii9apn0 えっショック
275それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:16:28.18ID:RgwqHWsr0 なるほどね
ようやく刻が来たってコト
ようやく刻が来たってコト
276それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:16:30.71ID:6EXeyK7V0 通常このような組織の中では、本人に家柄や財産などが無い限り、あるいは背後に余程の強力な支援者が控えていない限り、こういったことは考えにくい。さらに、ユダヤ人への敵意をむき出しにするヒトラーがドイツで政権を握り、一方でパレスチナでは建国へ向けたシオニストたちの活動が盛んになっていくその時期に、このロンカッリがユダヤ人口の多い東欧のブルガリア、次に、大きな権限を行使できる立場で欧州とパレスチナの中間にあるトルコとギリシャに派遣されるというのは、偶然にしてはできすぎている。
1905年から25年までにかけての彼に関する詳しい資料は今のところ見つけていない。一つの仮定としてなのだが、ロンカッリは早い時期からシオニスト・ユダヤ勢力との接触を持っており、シオニストの背後にいてバチカンと財政面でつながっているロスチャイルド家あたりの後援があったのではないか。
もしそうだとすれば、シオニスト・ユダヤへの協力は彼の一存ではなくバチカンの深い方針でもあったはずだ。ヒトラーに協力したと非難されるピオ12世だが、ロンカッリの行動を把握していなかったはずは無い。また当時のバチカンにはシオニズムに対する懸念と敵意も存在していたのだ。しかし不思議なことにこの「ヒトラーの教皇」は、彼の行動を咎めたり妨害したりするどころか、1944年に彼をナチスから解放されたばかりのパリの大使に、そして1953年には枢機卿へと昇進させているのである。これはつまるところ、ピオ12世にとって「ヒトラーへの協力」と「シオニストへの協力」が決して矛盾していなかったことを表しているのではないか。
1905年から25年までにかけての彼に関する詳しい資料は今のところ見つけていない。一つの仮定としてなのだが、ロンカッリは早い時期からシオニスト・ユダヤ勢力との接触を持っており、シオニストの背後にいてバチカンと財政面でつながっているロスチャイルド家あたりの後援があったのではないか。
もしそうだとすれば、シオニスト・ユダヤへの協力は彼の一存ではなくバチカンの深い方針でもあったはずだ。ヒトラーに協力したと非難されるピオ12世だが、ロンカッリの行動を把握していなかったはずは無い。また当時のバチカンにはシオニズムに対する懸念と敵意も存在していたのだ。しかし不思議なことにこの「ヒトラーの教皇」は、彼の行動を咎めたり妨害したりするどころか、1944年に彼をナチスから解放されたばかりのパリの大使に、そして1953年には枢機卿へと昇進させているのである。これはつまるところ、ピオ12世にとって「ヒトラーへの協力」と「シオニストへの協力」が決して矛盾していなかったことを表しているのではないか。
277それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:16:38.12ID:Q7bqgtlr0 年末最後の大物
278それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:16:38.86ID:sDFZM+Kg0279それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:16:48.41ID:myNtOoK/0 >>241
卍解
卍解
280それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:16:50.58ID:Fn6NlYq60 >>254
パルパティーンすぎて草
パルパティーンすぎて草
282それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:17:02.19ID:EeoodE6L0 初代は十二使徒一番弟子パウロ?ペトロ?
283それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:17:02.18ID:6EXeyK7V0 シオニストの友」ロンカッリが全生命力をつぎ込んで開催にこぎつけた第2バチカン公会議だが、その最も重要な改革ポイントの一つが「非キリスト教との対話と協調」の路線、特にユダヤ教とユダヤ人に対する姿勢の劇的な変化だろう。それを最も精力的に推進させた二人の人物がいる。ドイツ人イエズス会士であるアウグスティン・ベア枢機卿、およびオーストリアの枢機卿フランツ・ケーニッヒである。
この二人に共通するのは、ドイツ語圏の出身であることと同時に、オプス・デイの創始者ホセマリア・エスクリバー・デ・バラゲーと親しかった点である。彼自身は公会議には参加しなかったが、オプス・デイが言うところの「エスクリバー・デ・バラゲル師の友人たち」がこの会議を取り仕切っていた。
もちろん「非キリスト教との対話と協調」は、他のイスラム教や仏教などとの関係もうたっているし、同時にキリスト教の他の諸宗派、つまりプロテスタント各宗派や正教などとの教会一致(エキュメニカル)にも関係が深いのだが、その中でもユダヤ教との関係強化の動きは抜きん出ているのだ。
ベアは以前からピオ12世の聴罪師を務めるなどバチカンの中で大きな実権を握っていたのだが、実は彼がベジャールという本名を持つ改宗ユダヤ人である、という説は根強い。中には「非改宗ユダヤ人」つまり「バチカン内のユダヤ教徒」とまで呼ぶ人もいる。確かに彼のユダヤ人およびユダヤ教への「偏向ぶり」は際立っていた。
その口実となったのがナチス・ドイツによるユダヤ人への迫害、とりわけ「ホロコースト」であったことは言うまでも無い。彼はカトリックの変革にこれを脅迫的にと言ってよいほど最大限に活用した。
ベアは公会議終了後まもなく1968年に死去したが、彼の名を冠した「ユダヤ研究のためのベア枢機卿センター」では積極的にキリスト教とユダヤ教の融合が研究されているようである。現在その動きはやはりドイツ出身のワルター・キャスパー枢機卿によって引き継がれている。
もう一人のケーニッヒもベアと同様に第2公会議での「非キリスト教との対話と協調」路線確立に尽力しただけではなく、その後も長くウイーンの大司教としてキリスト教徒とユダヤ教徒の「兄弟愛に基づく関係」を築くための努力を惜しまなかった。彼は、「ホロコースト」に対してキリスト教徒とオーストリアが持つ共同の責任を無条件に認め、オーストリアの政治指導者による「明確な謝罪」を実現させた。現在この国はドイツやフランスなどと並び「ホロコーストへの疑問を犯罪と定める」国の一つである。
この二人に共通するのは、ドイツ語圏の出身であることと同時に、オプス・デイの創始者ホセマリア・エスクリバー・デ・バラゲーと親しかった点である。彼自身は公会議には参加しなかったが、オプス・デイが言うところの「エスクリバー・デ・バラゲル師の友人たち」がこの会議を取り仕切っていた。
もちろん「非キリスト教との対話と協調」は、他のイスラム教や仏教などとの関係もうたっているし、同時にキリスト教の他の諸宗派、つまりプロテスタント各宗派や正教などとの教会一致(エキュメニカル)にも関係が深いのだが、その中でもユダヤ教との関係強化の動きは抜きん出ているのだ。
ベアは以前からピオ12世の聴罪師を務めるなどバチカンの中で大きな実権を握っていたのだが、実は彼がベジャールという本名を持つ改宗ユダヤ人である、という説は根強い。中には「非改宗ユダヤ人」つまり「バチカン内のユダヤ教徒」とまで呼ぶ人もいる。確かに彼のユダヤ人およびユダヤ教への「偏向ぶり」は際立っていた。
その口実となったのがナチス・ドイツによるユダヤ人への迫害、とりわけ「ホロコースト」であったことは言うまでも無い。彼はカトリックの変革にこれを脅迫的にと言ってよいほど最大限に活用した。
ベアは公会議終了後まもなく1968年に死去したが、彼の名を冠した「ユダヤ研究のためのベア枢機卿センター」では積極的にキリスト教とユダヤ教の融合が研究されているようである。現在その動きはやはりドイツ出身のワルター・キャスパー枢機卿によって引き継がれている。
もう一人のケーニッヒもベアと同様に第2公会議での「非キリスト教との対話と協調」路線確立に尽力しただけではなく、その後も長くウイーンの大司教としてキリスト教徒とユダヤ教徒の「兄弟愛に基づく関係」を築くための努力を惜しまなかった。彼は、「ホロコースト」に対してキリスト教徒とオーストリアが持つ共同の責任を無条件に認め、オーストリアの政治指導者による「明確な謝罪」を実現させた。現在この国はドイツやフランスなどと並び「ホロコーストへの疑問を犯罪と定める」国の一つである。
284それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:17:09.35ID:N86eCPD10 >>272
現教皇じゃないからって打って「じゃないから」の部分を消し忘れたんやすまんな
現教皇じゃないからって打って「じゃないから」の部分を消し忘れたんやすまんな
285それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:17:14.83ID:M7+R/L+60 前って誰も読めてなくて草
286それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:17:15.54ID:VTGJp+5J0 どんくらい偉いの?
288それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:17:27.26ID:KRH3mz0A0 イッチ荒しにみたいになってて草
289それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:17:27.55ID:b3kT9IUU0 シスの皇帝みたいなひとか?
290それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:17:28.58ID:6EXeyK7V0 また奇妙なことにケーニッヒはヨハネス23世が誕生する直前に枢機卿となっており、以来「キングメーカー」を噂されてきたのである。そして、1978年のヨハネ・パウロ1世の奇怪な死の後で行われたコンクラーベで、無名だったポーランドのカロル・ヴォイティーワ枢機卿を強力に推薦してヨハネ・パウロ2世を誕生させたのが彼であったことも強調しておかねばならない。
ヴォイティーワについては次回に詳しく説明するが、彼自身がユダヤ系であるとする主張もある。その真偽はともかく、ユダヤ人たちとの親密さで有名な人物であることに間違いは無い。そしてヨハネ・パウロ1世の死とヴォイティーワの教皇就任の裏には、単にオプス・デイやシオニスト勢力だけではなく、共産圏の解体を目指すCIAなどの謀略機関と英米支配層、そしてフリーメーソンP2ロッジが潜んでいたことだろう。
《注記:カロル・ヴォイティーワがユダヤ系であることは英国のユダヤ人歴史家によって2005年に明らかにされている。》
また現在のバチカン中枢部では、ドイツ人教皇ベネディクト16世(ヨーゼフ・ラツィンガー)、およびウィーン大司教でケーニッヒの後継者クリストフ・シェンボーン枢機卿は、イスラエルから全面的な信頼を寄せられている。シェンボーンはカトリック・シオニストとしての立場を明確にしているのである。なおラツィンガーは第2公会議では改革派の急先鋒の一人だった。
ヴォイティーワについては次回に詳しく説明するが、彼自身がユダヤ系であるとする主張もある。その真偽はともかく、ユダヤ人たちとの親密さで有名な人物であることに間違いは無い。そしてヨハネ・パウロ1世の死とヴォイティーワの教皇就任の裏には、単にオプス・デイやシオニスト勢力だけではなく、共産圏の解体を目指すCIAなどの謀略機関と英米支配層、そしてフリーメーソンP2ロッジが潜んでいたことだろう。
《注記:カロル・ヴォイティーワがユダヤ系であることは英国のユダヤ人歴史家によって2005年に明らかにされている。》
また現在のバチカン中枢部では、ドイツ人教皇ベネディクト16世(ヨーゼフ・ラツィンガー)、およびウィーン大司教でケーニッヒの後継者クリストフ・シェンボーン枢機卿は、イスラエルから全面的な信頼を寄せられている。シェンボーンはカトリック・シオニストとしての立場を明確にしているのである。なおラツィンガーは第2公会議では改革派の急先鋒の一人だった。
291それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:17:35.06ID:v2OYBZ080 マジかよ…
292それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:17:44.01ID:6yU46FyD0 こんな顔してローマ教皇にあるまじきぐう聖なんよな
293それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:18:05.82ID:rvZhJgv/0 このタイミングで訃報流されたせいでQアノン界隈がまた騒ぎそう
294それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:18:11.21ID:6EXeyK7V0 リベラル教皇」パウロ6世]
1963年、第2バチカン公会議の最中に教皇ロンカッリは死亡した。その跡を継いで公会議を成功裏に終了させたのがジョバンニ・モンティーニ(教皇パウロ6世)である。モンティーニはピオ12世の後継者としても有力候補と言われていたのだが、ピオ12世はなぜか彼に枢機卿の座を与えず、1958年に疑惑に満ちた経過を経て誰もが予想しなかったヨハネス23世が誕生したのである。
しかし奇妙なことはこのモンティーニを選出した1963年のコンクラーベの際にも起こった、と言われる。前回申し上げた守旧派のジュゼッペ・シリ枢機卿がやはりこのときにも最有力候補と言われていた。そして――ここから先は未確認情報だが――投票の結果シリ枢機卿が選出に十分な票を集めた。そのときある一人の枢機卿(ケーニッヒか?)がシスティナ礼拝堂から忍び出て、外で待つブナイ・ブリス(フリーメーソンのユダヤ・ロッジ)の要員に結果を告げた。返答は、カトリック教会に対する虐殺が起こる、という脅迫であった。その枢機卿は礼拝堂に戻りモンティーニを選出させた・・・・。
もちろんこのような話の真偽など確かめようが無い。しかしカトリック守旧派は今でもこのときのシリ選出を固く信じている。確実に言えるのは、もしもシリが教皇に選ばれていたら第2バチカン公会議は中止されていただろう、ということだけである。当のシリは「私は秘密に縛られている。この秘密は恐ろしい。」と言い残し、沈黙を守ったまま1989年にこの世を去ってしまったのだ。
モンティーニは公会議で「信教の自由」を高く評価し、カトリックの戒律を大幅に改め、エキュメニカル運動の推進者となった。そして前任者のロンカッリ同様にベアやケーニッヒと手と携えて「非キリスト教との対話と協調」路線の確立に力を注いだ。彼はユダヤ教神学者アブラハム・ヘシェルとの間で秘密会議を持ち、その要望を受け入れてユダヤ人の改宗に関する規定を削除した。
1963年、第2バチカン公会議の最中に教皇ロンカッリは死亡した。その跡を継いで公会議を成功裏に終了させたのがジョバンニ・モンティーニ(教皇パウロ6世)である。モンティーニはピオ12世の後継者としても有力候補と言われていたのだが、ピオ12世はなぜか彼に枢機卿の座を与えず、1958年に疑惑に満ちた経過を経て誰もが予想しなかったヨハネス23世が誕生したのである。
しかし奇妙なことはこのモンティーニを選出した1963年のコンクラーベの際にも起こった、と言われる。前回申し上げた守旧派のジュゼッペ・シリ枢機卿がやはりこのときにも最有力候補と言われていた。そして――ここから先は未確認情報だが――投票の結果シリ枢機卿が選出に十分な票を集めた。そのときある一人の枢機卿(ケーニッヒか?)がシスティナ礼拝堂から忍び出て、外で待つブナイ・ブリス(フリーメーソンのユダヤ・ロッジ)の要員に結果を告げた。返答は、カトリック教会に対する虐殺が起こる、という脅迫であった。その枢機卿は礼拝堂に戻りモンティーニを選出させた・・・・。
もちろんこのような話の真偽など確かめようが無い。しかしカトリック守旧派は今でもこのときのシリ選出を固く信じている。確実に言えるのは、もしもシリが教皇に選ばれていたら第2バチカン公会議は中止されていただろう、ということだけである。当のシリは「私は秘密に縛られている。この秘密は恐ろしい。」と言い残し、沈黙を守ったまま1989年にこの世を去ってしまったのだ。
モンティーニは公会議で「信教の自由」を高く評価し、カトリックの戒律を大幅に改め、エキュメニカル運動の推進者となった。そして前任者のロンカッリ同様にベアやケーニッヒと手と携えて「非キリスト教との対話と協調」路線の確立に力を注いだ。彼はユダヤ教神学者アブラハム・ヘシェルとの間で秘密会議を持ち、その要望を受け入れてユダヤ人の改宗に関する規定を削除した。
295それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:18:16.44ID:EeoodE6L0 悪魔が荒らしてるな 悪魔払いするか
父と子と精霊の御名においてアーメン
父と子と精霊の御名においてアーメン
296それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:18:35.95ID:qU1eATcZM 具体的に何した人なん?
なんとかかんとか何世てことは世襲制なん?
なんとかかんとか何世てことは世襲制なん?
297それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:18:36.62ID:RbGmUtyOM お前ら現法王と前法王の名前と顔の違いぐらい覚えとけよ…
298それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:18:42.72ID:6EXeyK7V0 さらにこのパウロ6世は、ユダヤ教やイスラム教などの非キリスト教も真実の神を崇拝しておりイエス・キリストへの忠誠無しで救済を受ける、とおおやけに発言した最初のローマ教皇である。その姿勢はヨハネ・パウロ2世にも引き継がれた。旧来の熱心なカトリック信徒にしてみれば青天の霹靂ともいえる事柄だっただろう。しかしローマを疑うことを知らぬ多数派の信徒たちはこの改革を受け入れた。
彼の「自由化路線」は信仰だけにとどまらず、ついにはローマ市内で堕胎をおおっぴらに行う病院まで出現させた。このような「自由化」の行き過ぎを指摘され、さすがのモンティーニも声を上げて泣き出した、と言われる。
このようなあまりに急激な変化を推進したため、彼は、カトリック伝統保守派から最も非難される教皇の一人となった。そして彼にもやはり「ユダヤ人疑惑」があるのだが、それに関しては何とも言いようが無い。
面白いことがある。ローマ教皇が就任する際には7世紀以来の伝統として「教皇の誓い」を読み上げる習慣があった。ピオ10世(在位1903-14)以降はそれが「近代主義に反対する誓い」と解釈されたようだ。そして、守旧派によると、それはパウロ6世までのすべての教皇によって誓われたのだが、その後ヨハネ・パウロ1世、同2世、ベネディクト16世によっては無視されたそうである。
しかしパウロ6世は紛れも無くリベラルな近代主義教皇であった。そして第2バチカン公会議とこの教皇の在位中(1963-78)に、ロック・ミュージックの爆発的流行およびそれと併行したLSDや大麻などのドラッグ、ヒッピーの出現とニューエィジ・ムーヴメントなどなど、世界中でそれ以前の価値観や文明観を片っ端から激しく壊していく動きが、若者層を中心に広がっていった。このような文化の流れを、ある謀略的な集団によって意図的に作られたものだ、と考える人もいる。
今のところ私はそれに関しては何とも言えないが確かに偶然とは思えないフシもある。これは後年の研究課題としておこう。
彼の「自由化路線」は信仰だけにとどまらず、ついにはローマ市内で堕胎をおおっぴらに行う病院まで出現させた。このような「自由化」の行き過ぎを指摘され、さすがのモンティーニも声を上げて泣き出した、と言われる。
このようなあまりに急激な変化を推進したため、彼は、カトリック伝統保守派から最も非難される教皇の一人となった。そして彼にもやはり「ユダヤ人疑惑」があるのだが、それに関しては何とも言いようが無い。
面白いことがある。ローマ教皇が就任する際には7世紀以来の伝統として「教皇の誓い」を読み上げる習慣があった。ピオ10世(在位1903-14)以降はそれが「近代主義に反対する誓い」と解釈されたようだ。そして、守旧派によると、それはパウロ6世までのすべての教皇によって誓われたのだが、その後ヨハネ・パウロ1世、同2世、ベネディクト16世によっては無視されたそうである。
しかしパウロ6世は紛れも無くリベラルな近代主義教皇であった。そして第2バチカン公会議とこの教皇の在位中(1963-78)に、ロック・ミュージックの爆発的流行およびそれと併行したLSDや大麻などのドラッグ、ヒッピーの出現とニューエィジ・ムーヴメントなどなど、世界中でそれ以前の価値観や文明観を片っ端から激しく壊していく動きが、若者層を中心に広がっていった。このような文化の流れを、ある謀略的な集団によって意図的に作られたものだ、と考える人もいる。
今のところ私はそれに関しては何とも言えないが確かに偶然とは思えないフシもある。これは後年の研究課題としておこう。
299それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:18:47.76ID:WNFS7EvN0 フォースライトニング得意そう
300それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:19:00.80ID:YG5zSkCNa >>295
グエー👿
グエー👿
301それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:19:32.19ID:EeoodE6L0 初代ってイエスの一番弟子の人よな?十二使徒の
302それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:19:42.12ID:6EXeyK7V0 今回は直接にオプス・デイへの言及を行うようなテーマではなかったが、今回述べた第2バチカン公会議での変化を通して、この教団はローマ教会の中で確固たる勢力拡張を成し遂げた。またこの教団の創始者であるエスクリバー自身が改宗ユダヤ人の子孫である可能性が高い。スペインでオプス・デイの庇護者となった独裁者フランシスコ・フランコにしても同様である。
カトリック守旧派で反ユダヤ感情の強いグループでは、ヨハネス23世以降の各教皇とこの公会議、そしてオプス・デイの台頭などを、すべてひっくるめて「ユダヤ=フリーメーソンの陰謀」とする傾向が強い。これには、例の「シオン長老の議定書」を下敷きにしてあらゆるけしからぬ動きや変化に「ユダヤ臭」を嗅ぎ取る、典型的な「陰謀論」の影響があると思われる。
確かにいたるところにシオニスト・ユダヤの影がちらつくし、実際に彼らが相当に強くバチカンに力を及ぼしたことは間違いの無い事実だろう。しかしこのような「ユダヤの陰謀」論は、しょせんは例の「知的計画による創造論」と同一レベルの変形一神教、知的退廃としか思えない。私としては、調査と研究、大胆な推論、綿密な検証と修正による認識の深化あるのみである。
次回、「十字架とダビデの星(下)」では、オプス・デイとその傀儡教皇ヨハネ・パウロ2世を中心に、カトリックとユダヤ勢力(シオニスト)との関係を検討していくことにしたい。
カトリック守旧派で反ユダヤ感情の強いグループでは、ヨハネス23世以降の各教皇とこの公会議、そしてオプス・デイの台頭などを、すべてひっくるめて「ユダヤ=フリーメーソンの陰謀」とする傾向が強い。これには、例の「シオン長老の議定書」を下敷きにしてあらゆるけしからぬ動きや変化に「ユダヤ臭」を嗅ぎ取る、典型的な「陰謀論」の影響があると思われる。
確かにいたるところにシオニスト・ユダヤの影がちらつくし、実際に彼らが相当に強くバチカンに力を及ぼしたことは間違いの無い事実だろう。しかしこのような「ユダヤの陰謀」論は、しょせんは例の「知的計画による創造論」と同一レベルの変形一神教、知的退廃としか思えない。私としては、調査と研究、大胆な推論、綿密な検証と修正による認識の深化あるのみである。
次回、「十字架とダビデの星(下)」では、オプス・デイとその傀儡教皇ヨハネ・パウロ2世を中心に、カトリックとユダヤ勢力(シオニスト)との関係を検討していくことにしたい。
303それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:19:58.69ID:o4a27JTE0 流石にこの方が今年最後か
304それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:20:02.27ID:EeoodE6L0 カトリックおる?
305それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:20:03.31ID:OPQwC91r0 年をこせなかったのか…
306それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:20:06.04ID:q5JVQgKJ0 >>232
安倍晋三
安倍晋三
307それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:20:07.28ID:qU1eATcZM308それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:20:11.31ID:aR5OAyT5d 年末に死なれると面倒だから半分死体を生かし続けた昭和天皇の医療チームを見習えよ
309それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:20:16.75ID:or2vTRGn0 キリが良いな
311それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:20:24.03ID:EeoodE6L0 これ新時代の幕開けだろ
312それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:20:25.58ID:GAdd1DJpM313それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:20:30.44ID:mqzZzMa10 バチカン内部の権力闘争書いたええ本知らんか?
314それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:20:38.84ID:m24cZIn8a 前の教皇か
ナチとのつながりはどうなったんだラッツィンガー
ナチとのつながりはどうなったんだラッツィンガー
315それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:20:43.37ID:6EXeyK7V0 2005年4月、前ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が死去したすぐあとのことだが、英国の新聞メトロ紙が次のような内容の記事を掲載した。
《英国マンチェスター在住の正統派ユダヤ歴史・哲学研究家ヤアコヴ・ワイズの研究によると、前ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世(カロル・ヴォイティーワ)の母親、祖母、曾祖母がすべてユダヤ系であった。》
ヴォイティーワがユダヤ系であることは以前から一部で指摘されていたことだが、生前にこれを語ることはタブーだった。しかし彼の極めて強い親ユダヤ性はいやでも人目を引かざるを得なかったのである。
カロル・ジョゼフ・ヴォイティーワは1920年5月18日に南部ポーランドのヴァドヴィツェで生まれた。この町は第2次世界大戦の前には多くのユダヤ人が住んでおり、彼はそこでユダヤ人社会との極めて強い接触を持っていたようである。ネット百科辞典ウイキペディアはカロル少年がヴァドヴィツェのユダヤ人の子供たちと共にサッカーを楽しんでいた、という逸話を紹介している。
バチカンの情報誌Znet.orgは彼が死亡するやや前の2005年1月に次のような話を掲載した。あるポーランド人の夫婦がユダヤ人の幼い男の子を預かった。彼の両親はナチによって連行され二度と戻ってこなかった。夫婦はナチを恐れその子供にカトリックの洗礼を受けさせようとしてクラコウの教会に行ったが、若い神父は洗礼を拒否した。子供の『ユダヤ人としてのアイデンティティを尊重するがゆえに』である。その子供は無事に成人となり後に米国に渡った。そしてヨハネ・パウロ2世が就任した年に、育ての親からその神父がカロル・ヴォイティーワであることを聞かされたのだ。
欧州のユダヤ人社会の中でこの教皇に対する信頼は圧倒的だった。彼は幼友達のユダヤ人であるジャーズィ・クルガーの多大の影響を受けながらイスラエルとユダヤ教に関するバチカンの政策を決めていた、といわれる。
《英国マンチェスター在住の正統派ユダヤ歴史・哲学研究家ヤアコヴ・ワイズの研究によると、前ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世(カロル・ヴォイティーワ)の母親、祖母、曾祖母がすべてユダヤ系であった。》
ヴォイティーワがユダヤ系であることは以前から一部で指摘されていたことだが、生前にこれを語ることはタブーだった。しかし彼の極めて強い親ユダヤ性はいやでも人目を引かざるを得なかったのである。
カロル・ジョゼフ・ヴォイティーワは1920年5月18日に南部ポーランドのヴァドヴィツェで生まれた。この町は第2次世界大戦の前には多くのユダヤ人が住んでおり、彼はそこでユダヤ人社会との極めて強い接触を持っていたようである。ネット百科辞典ウイキペディアはカロル少年がヴァドヴィツェのユダヤ人の子供たちと共にサッカーを楽しんでいた、という逸話を紹介している。
バチカンの情報誌Znet.orgは彼が死亡するやや前の2005年1月に次のような話を掲載した。あるポーランド人の夫婦がユダヤ人の幼い男の子を預かった。彼の両親はナチによって連行され二度と戻ってこなかった。夫婦はナチを恐れその子供にカトリックの洗礼を受けさせようとしてクラコウの教会に行ったが、若い神父は洗礼を拒否した。子供の『ユダヤ人としてのアイデンティティを尊重するがゆえに』である。その子供は無事に成人となり後に米国に渡った。そしてヨハネ・パウロ2世が就任した年に、育ての親からその神父がカロル・ヴォイティーワであることを聞かされたのだ。
欧州のユダヤ人社会の中でこの教皇に対する信頼は圧倒的だった。彼は幼友達のユダヤ人であるジャーズィ・クルガーの多大の影響を受けながらイスラエルとユダヤ教に関するバチカンの政策を決めていた、といわれる。
316それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:20:58.98ID:TO4l970k0 来年は人類滅亡か
317それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:21:01.70ID:5P4Q6s580 またガチの国葬見せられるやん 安倍のショボさが引き立つわ
319それでも動く名無し
2022/12/31(土) 20:21:15.52ID:6EXeyK7V0 この教皇は倫理や政治姿勢の面では極めて保守的であったが、宗教面では次々とカトリックの伝統を打ち破った。ユダヤ教とイスラム教に対して「同一の神をあがめる宗教」でありイエス・キリストに対する忠誠無しでも「救済される」としたのだ。先ほどのユダヤ人少年に関する逸話がヴォイティーワの死の前にバチカンの雑誌に載ったことは意味深長である。一方で彼のバチカンは、カトリックの教義をヒンズー教徒や仏教徒にも理解出来るように再構築しようとしたスリランカのベラスリヤ神父を、キリストによる救いなどの根本的な教義を否定するとして破門に処した。これに直接に手を下したのが教理省長官ジョセフ・ラツィンガー(現教皇ベネディクト16世)である。
ユダヤ教に関しては前任者のパウロ6世も同様の姿勢を打ち出してはいたが、ヨハネ・パウロ2世のユダヤに対する偏向は際立った。2000年3月に彼はカトリックの「過去の過ち」を認め神に許しを乞うミサを行ったが、これが主要にユダヤ人に対する偏見とその結果起こったとされる「ホロコースト」に対してであるのは言うまでも無い。ユダヤ人である彼が「カトリックを代表してユダヤに謝罪した」のだ。
1978年にこの全く無名だった男が「ミスター冷戦」となるべく教皇位に就いた裏に、極めて親ユダヤ的なオーストリアの枢機卿フランツ・ケーニッヒがいたことは前回(第8部 )でも触れた。そしてそこに米国支配層の意思と同時にユダヤ組織の介入があった可能性は否めない。偶然かもしれないがその前年にイスラエルで、リクード党首で元イルグン・テロリストのメナヘム・ベギンが首相となっている。
ユダヤ教に関しては前任者のパウロ6世も同様の姿勢を打ち出してはいたが、ヨハネ・パウロ2世のユダヤに対する偏向は際立った。2000年3月に彼はカトリックの「過去の過ち」を認め神に許しを乞うミサを行ったが、これが主要にユダヤ人に対する偏見とその結果起こったとされる「ホロコースト」に対してであるのは言うまでも無い。ユダヤ人である彼が「カトリックを代表してユダヤに謝罪した」のだ。
1978年にこの全く無名だった男が「ミスター冷戦」となるべく教皇位に就いた裏に、極めて親ユダヤ的なオーストリアの枢機卿フランツ・ケーニッヒがいたことは前回(第8部 )でも触れた。そしてそこに米国支配層の意思と同時にユダヤ組織の介入があった可能性は否めない。偶然かもしれないがその前年にイスラエルで、リクード党首で元イルグン・テロリストのメナヘム・ベギンが首相となっている。
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