【訃報】ローマ教皇が死去
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【ローマ共同】ローマ教皇庁(バチカン)によると、前ローマ教皇ベネディクト16世が31日死去した。95歳だった。 https://www.sakigake.jp/news/article/20221231CO0048/ このタイミングで訃報流されたせいでQアノン界隈がまた騒ぎそう リベラル教皇」パウロ6世] 1963年、第2バチカン公会議の最中に教皇ロンカッリは死亡した。その跡を継いで公会議を成功裏に終了させたのがジョバンニ・モンティーニ(教皇パウロ6世)である。モンティーニはピオ12世の後継者としても有力候補と言われていたのだが、ピオ12世はなぜか彼に枢機卿の座を与えず、1958年に疑惑に満ちた経過を経て誰もが予想しなかったヨハネス23世が誕生したのである。 しかし奇妙なことはこのモンティーニを選出した1963年のコンクラーベの際にも起こった、と言われる。前回申し上げた守旧派のジュゼッペ・シリ枢機卿がやはりこのときにも最有力候補と言われていた。そして――ここから先は未確認情報だが――投票の結果シリ枢機卿が選出に十分な票を集めた。そのときある一人の枢機卿(ケーニッヒか?)がシスティナ礼拝堂から忍び出て、外で待つブナイ・ブリス(フリーメーソンのユダヤ・ロッジ)の要員に結果を告げた。返答は、カトリック教会に対する虐殺が起こる、という脅迫であった。その枢機卿は礼拝堂に戻りモンティーニを選出させた・・・・。 もちろんこのような話の真偽など確かめようが無い。しかしカトリック守旧派は今でもこのときのシリ選出を固く信じている。確実に言えるのは、もしもシリが教皇に選ばれていたら第2バチカン公会議は中止されていただろう、ということだけである。当のシリは「私は秘密に縛られている。この秘密は恐ろしい。」と言い残し、沈黙を守ったまま1989年にこの世を去ってしまったのだ。 モンティーニは公会議で「信教の自由」を高く評価し、カトリックの戒律を大幅に改め、エキュメニカル運動の推進者となった。そして前任者のロンカッリ同様にベアやケーニッヒと手と携えて「非キリスト教との対話と協調」路線の確立に力を注いだ。彼はユダヤ教神学者アブラハム・ヘシェルとの間で秘密会議を持ち、その要望を受け入れてユダヤ人の改宗に関する規定を削除した。 悪魔が荒らしてるな 悪魔払いするか 父と子と精霊の御名においてアーメン 具体的に何した人なん? なんとかかんとか何世てことは世襲制なん? お前ら現法王と前法王の名前と顔の違いぐらい覚えとけよ… さらにこのパウロ6世は、ユダヤ教やイスラム教などの非キリスト教も真実の神を崇拝しておりイエス・キリストへの忠誠無しで救済を受ける、とおおやけに発言した最初のローマ教皇である。その姿勢はヨハネ・パウロ2世にも引き継がれた。旧来の熱心なカトリック信徒にしてみれば青天の霹靂ともいえる事柄だっただろう。しかしローマを疑うことを知らぬ多数派の信徒たちはこの改革を受け入れた。 彼の「自由化路線」は信仰だけにとどまらず、ついにはローマ市内で堕胎をおおっぴらに行う病院まで出現させた。このような「自由化」の行き過ぎを指摘され、さすがのモンティーニも声を上げて泣き出した、と言われる。 このようなあまりに急激な変化を推進したため、彼は、カトリック伝統保守派から最も非難される教皇の一人となった。そして彼にもやはり「ユダヤ人疑惑」があるのだが、それに関しては何とも言いようが無い。 面白いことがある。ローマ教皇が就任する際には7世紀以来の伝統として「教皇の誓い」を読み上げる習慣があった。ピオ10世(在位1903-14)以降はそれが「近代主義に反対する誓い」と解釈されたようだ。そして、守旧派によると、それはパウロ6世までのすべての教皇によって誓われたのだが、その後ヨハネ・パウロ1世、同2世、ベネディクト16世によっては無視されたそうである。 しかしパウロ6世は紛れも無くリベラルな近代主義教皇であった。そして第2バチカン公会議とこの教皇の在位中(1963-78)に、ロック・ミュージックの爆発的流行およびそれと併行したLSDや大麻などのドラッグ、ヒッピーの出現とニューエィジ・ムーヴメントなどなど、世界中でそれ以前の価値観や文明観を片っ端から激しく壊していく動きが、若者層を中心に広がっていった。このような文化の流れを、ある謀略的な集団によって意図的に作られたものだ、と考える人もいる。 今のところ私はそれに関しては何とも言えないが確かに偶然とは思えないフシもある。これは後年の研究課題としておこう。 今回は直接にオプス・デイへの言及を行うようなテーマではなかったが、今回述べた第2バチカン公会議での変化を通して、この教団はローマ教会の中で確固たる勢力拡張を成し遂げた。またこの教団の創始者であるエスクリバー自身が改宗ユダヤ人の子孫である可能性が高い。スペインでオプス・デイの庇護者となった独裁者フランシスコ・フランコにしても同様である。 カトリック守旧派で反ユダヤ感情の強いグループでは、ヨハネス23世以降の各教皇とこの公会議、そしてオプス・デイの台頭などを、すべてひっくるめて「ユダヤ=フリーメーソンの陰謀」とする傾向が強い。これには、例の「シオン長老の議定書」を下敷きにしてあらゆるけしからぬ動きや変化に「ユダヤ臭」を嗅ぎ取る、典型的な「陰謀論」の影響があると思われる。 確かにいたるところにシオニスト・ユダヤの影がちらつくし、実際に彼らが相当に強くバチカンに力を及ぼしたことは間違いの無い事実だろう。しかしこのような「ユダヤの陰謀」論は、しょせんは例の「知的計画による創造論」と同一レベルの変形一神教、知的退廃としか思えない。私としては、調査と研究、大胆な推論、綿密な検証と修正による認識の深化あるのみである。 次回、「十字架とダビデの星(下)」では、オプス・デイとその傀儡教皇ヨハネ・パウロ2世を中心に、カトリックとユダヤ勢力(シオニスト)との関係を検討していくことにしたい。 >>301 それの子孫てことなん? ほんまかそれ? 年末に死なれると面倒だから半分死体を生かし続けた昭和天皇の医療チームを見習えよ 前の教皇か ナチとのつながりはどうなったんだラッツィンガー 2005年4月、前ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が死去したすぐあとのことだが、英国の新聞メトロ紙が次のような内容の記事を掲載した。 《英国マンチェスター在住の正統派ユダヤ歴史・哲学研究家ヤアコヴ・ワイズの研究によると、前ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世(カロル・ヴォイティーワ)の母親、祖母、曾祖母がすべてユダヤ系であった。》 ヴォイティーワがユダヤ系であることは以前から一部で指摘されていたことだが、生前にこれを語ることはタブーだった。しかし彼の極めて強い親ユダヤ性はいやでも人目を引かざるを得なかったのである。 カロル・ジョゼフ・ヴォイティーワは1920年5月18日に南部ポーランドのヴァドヴィツェで生まれた。この町は第2次世界大戦の前には多くのユダヤ人が住んでおり、彼はそこでユダヤ人社会との極めて強い接触を持っていたようである。ネット百科辞典ウイキペディアはカロル少年がヴァドヴィツェのユダヤ人の子供たちと共にサッカーを楽しんでいた、という逸話を紹介している。 バチカンの情報誌Znet.orgは彼が死亡するやや前の2005年1月に次のような話を掲載した。あるポーランド人の夫婦がユダヤ人の幼い男の子を預かった。彼の両親はナチによって連行され二度と戻ってこなかった。夫婦はナチを恐れその子供にカトリックの洗礼を受けさせようとしてクラコウの教会に行ったが、若い神父は洗礼を拒否した。子供の『ユダヤ人としてのアイデンティティを尊重するがゆえに』である。その子供は無事に成人となり後に米国に渡った。そしてヨハネ・パウロ2世が就任した年に、育ての親からその神父がカロル・ヴォイティーワであることを聞かされたのだ。 欧州のユダヤ人社会の中でこの教皇に対する信頼は圧倒的だった。彼は幼友達のユダヤ人であるジャーズィ・クルガーの多大の影響を受けながらイスラエルとユダヤ教に関するバチカンの政策を決めていた、といわれる。 またガチの国葬見せられるやん 安倍のショボさが引き立つわ この教皇は倫理や政治姿勢の面では極めて保守的であったが、宗教面では次々とカトリックの伝統を打ち破った。ユダヤ教とイスラム教に対して「同一の神をあがめる宗教」でありイエス・キリストに対する忠誠無しでも「救済される」としたのだ。先ほどのユダヤ人少年に関する逸話がヴォイティーワの死の前にバチカンの雑誌に載ったことは意味深長である。一方で彼のバチカンは、カトリックの教義をヒンズー教徒や仏教徒にも理解出来るように再構築しようとしたスリランカのベラスリヤ神父を、キリストによる救いなどの根本的な教義を否定するとして破門に処した。これに直接に手を下したのが教理省長官ジョセフ・ラツィンガー(現教皇ベネディクト16世)である。 ユダヤ教に関しては前任者のパウロ6世も同様の姿勢を打ち出してはいたが、ヨハネ・パウロ2世のユダヤに対する偏向は際立った。2000年3月に彼はカトリックの「過去の過ち」を認め神に許しを乞うミサを行ったが、これが主要にユダヤ人に対する偏見とその結果起こったとされる「ホロコースト」に対してであるのは言うまでも無い。ユダヤ人である彼が「カトリックを代表してユダヤに謝罪した」のだ。 1978年にこの全く無名だった男が「ミスター冷戦」となるべく教皇位に就いた裏に、極めて親ユダヤ的なオーストリアの枢機卿フランツ・ケーニッヒがいたことは前回(第8部 )でも触れた。そしてそこに米国支配層の意思と同時にユダヤ組織の介入があった可能性は否めない。偶然かもしれないがその前年にイスラエルで、リクード党首で元イルグン・テロリストのメナヘム・ベギンが首相となっている。 >>296 人気者のヨハネ・パウロが大衆化したバチカンを本道に戻した感じやな 聖人の中から自分がなりたいとか憧れてる人の名前名乗ってるんや >>278 今回亡くなったベネディクトは10年くらい前に高齢を理由に生前退位した人なんや せやからその時にコンクラーヴェをやって今はアルゼンチン出身の人が教皇しとる その人が亡くなるか辞任した時が次のコンクラーヴェやで カロル・ヴォイティーワがオプス・デイの創始者ホセマリア・エスクリバー・デ・バラゲーに心酔していたことは有名である。彼は教皇に選出される直前、その3年前に死亡したエスクリバーの墓の前に跪いて懸命に祈っていた。ヨハネ・パウロ2世は教皇就任後に、オプス・デイを「属人区」という特別な地位でバチカンの正式な機関とし、1992年にはその死後わずか17年でエスクリバーを福者に、その10年後の2002年には聖人へと、異常なスピードで「出世」させた。サン・ピエトロ寺院の脇には彼の巨大な彫像 すら飾られている。あの第2バチカン公会議最大の功労者であるアンジェロ・ロンカッリ(ヨハネス23世)は未だに聖人ではないのだ。 そして、当然のごとくというべきか、このエスクリバーには「ユダヤ人説」がある 。 彼のフル・ネームはJosemaría Escrivá de Balaguer y Albásなのだが、しかし彼が生まれたときの名前はJosé María Escriba y Albásであった。最後のAlbásは母親方の姓であるが真ん中のEscriba(エスクリーバ)は父親の姓だ。これを後にEscrivá(エスクリバー)と改名したわけなのだが、実はこのescribaというスペイン語はユダヤ教の『律法学士』を指すものである。 スペイン人の姓の中には明らかにユダヤ起源を伝えるものがいくつかある。その代表的なものがフランコであり、あの独裁者フランシス・フランコはユダヤ系と見なされているのだ。フランコは生真面目な堅物だったのだが、結婚後に熱心なカトリック信徒である夫人の影響を受けるまでは決してミサに行かなかったといわれる。同様にキューバの首相カストロの姓もユダヤ系に多いようである。 >>320 なんやそれ草 ~何世とか名乗るのおかしくね? エスクリバーは1902年にスペイン北部のバルバストロという田舎町で生まれたが、そこには改宗ユダヤ人、スペイン語でマラノあるいはコンベルソと呼ばれる人々の子孫が多く住んでいた。スペインには1492年のカトリックによる統一の以前には数多くのセファラディ・ユダヤ人がいた。その過半数はカトリック教徒によって追放されたが一部は改宗してそのままスペインに残った。そして彼らの中には「隠れユダヤ教徒」として秘密裏にその信仰を守り続けた者もいた。 彼が父方の姓を変えてまでその出自を隠そうとしたのはなぜか。「マラノの子孫」であることにひけ目を感じていたのか、あるいは修道院に入るのにキリストから嫌われた「律法学士」の名では不都合だと考えたのか、そのへんはわからない。ただ当時はユダヤ人に対する「キリスト殺し」の汚名と偏見がカトリック社会の中で強く根付いており、それが彼に有形無形の圧力をかけていたことは想像に難くない。 1928年にオプス・デイを作りカトリック僧として左翼思想を敵視していたエスクリバーはスペイン内戦中にフランコと出会うのだが、フランコとオプス・デイの関係は単にお互いの利用以上のものがあったであろう。 そして、内戦終結のわずか4年後の1943年に、オプス・デイの幹部であったラファエル・カルボ・セレルが、おそらくスペイン王政復古の画策を開始するために、スイスに亡命中のスペイン王家・ブルボン家の後継者ドン・フアンと会見している。このようなコンタクトは、欧州の「雲の上」を通して物事を動かすことの出来る巨大な力が介在しない限り、実現できるようなものではありえない。 さらには1942年からローマへの本部移転の下準備を始め4年後の46年にエスクリバーはローマに移ったのだが、その後わずかの間に、フランスのロベール・シューマンやエドゥモン・ジスカールデスタン、イタリアのアルチデ・デ・ガスペリといった政界の大物を取り込んでいるのだ。この集団は単なる新興教団ではない。 >>192 2 人の助っ人に挟まれた和製大砲が4番を打つっていうクッソロマンあるやつの何がアカンのですか! 東西冷戦を集結させた共産党書記長:ミハイル・ゴルバチョフ 世界帝国の女王:エリザベス2世 中国が急成長した時代を牽引した国家主席:江沢民 カトリック教会の最高権威たるローマ教皇:ベネディクト16世 森羅万象を司り、現実改変能力を持つ聖帝:安倍晋三 やっぱ安晋がナンバーワン! 20世紀の前半にシオニズムとバチカンの両方に深く関わりどちらをも支えてきた要素として英仏のロスチャイルド家がある。そして後半では米国の姿が大きく浮び上がるが、彼らは同時にナチス・ドイツをも誕生させ育てた。当然だが、そのどちらにも世界の支配階層となったユダヤのマモン崇拝者たちの姿を見ることができる。 《米国とナチス・ドイツとの関係については、「イスラエル:暗黒の源流 ジャボチンスキーとユダヤ・ファシズム」の「第7部 ナチス・ドイツを育てた米国人たち」を参照のこと。 十字架と六芒星が重なってくる。ニューヨークにあるオプス・デイ米国本部にはカトリックに付き物の聖人像や聖画は無く十字架すらほとんど目に付かない。ここに七支の燭台があればそのままシナゴーグに代ってしまうのかもしれない。『律法学士』たるエスクリバーの背後にユダヤ支配者の影が濃く映る。ヴォイティーワとエスクリバーは最初から共通の基盤の上に立っていたのだ。 ローマ教皇だと!彼は一体何師団保有しているのかね? 昔明らかに暗殺されたローマ法王おったよなバチカンの銀行改革しようとして内部の人間に殺された説が有力なやつ 2013年に存命中の教皇としては約600年ぶりに退位 教皇ほかにおるやん 昨日の磯崎新ペレヴィヴィアンウエストウッドの畳み掛けで終わりと思ったのに大物きたわね オプス・デイの教義内容に関しては次号で詳しくご説明したいが、この教団が第2バチカン公会議の「申し子」として勢力を伸ばしてきたことは今までにも申し上げた。そしてその公会議に多大な影響を与えたものが三つあることもお話してきた。一つは米合衆国憲法、二つ目はシヨン運動(フランス革命の思想)、そしてユダヤ(シオニズム)である。この三つに思想上の共通点があるとすれば、おそらく「現世主義」「世俗的メシア主義」とでもいうべきものだろう。 以前のカトリックの特徴であった現世否定的な姿勢はこの公会議を境にほとんど消えて無くなった。旧来なら、キリストの再臨を待たない理想世界の建設は「地上の王国」の理想化であり反キリスト的な発想として糾弾されるべきものであったのが、この公会議を境に180度の変化を受けた。 オプス・デイは、イエズス会やフランシスコ会などのような僧侶中心の組織ではなく、基本的に世俗組織である。社会のピラミッドで中~上層部を構成する実業家、知識人、法律家や政治家、エリート軍人などがその能力を最大限に発揮できるように、その教義が組まれている、と考えたらよい。 それは一見すると、「貧民救済」の発想をイデオロギー化させたイエズス会系の「解放の神学」とは逆のように見えるが、「世俗的メシア主義」という点では全く一致している。この二つは第2公会議で生まれた『双子の兄弟』、鏡像の関係にあるものと言って構わないであろう。 面白いことに、カトリックの変化よりも先にユダヤ教の内部で類似の大変化が起きていたのである。神が遣わすメシアの登場を待たずにパレスチナの地に戻ろうとするシオニズムの台頭である。現在でも少数派ではあるがシオニズムに頑強に反対する旧来のユダヤ教徒たちがいる。そしてそのシオニズム運動とマルク・サンニエのシヨン運動はともに19世紀後半のほぼ同時期に誕生した。 《注記:トーラーを聖典を仰ぐ正統派のユダヤ教徒たちは、神から遣わされたメシアによらずにパレスチナの地に戻ることをユダヤ教に対する冒とくであるとして、シオニズムとイスラエルを厳しく批判している。》 前教王やんけ 今年の厄全部引き受けて綺麗綺麗にしてくれ さらにオプス・デイが一貫して敵視してきたマルクス主義にしても、ある種の「世俗的メシア主義」と言って差し支えないだろう。これもまた19世紀後半から主に左翼ユダヤ人たちによって急激に広められたものなのだ。もっと言えばヒトラーやムッソリーニのファシズム思想すら同様に考えることもできよう。 そして今までに述べたどの側からも希求されるものは、それぞれにニュアンスや使用する論理は異なっていても、人間の手と意思による「理想社会」「地上の楽園」の実現であり、これらの動きの全てがそれを理論化し合理化しようとしている。そしてその果てにあるものは何であろうか。 [エルサレムへ] 2003年7月に、イスラエルの元首相で労働党首シモン・ペレスは、エルサレムを国連の主導の元に象徴的な「世界の首都」とし国連事務総長に「市長」となるように提案した。ユダヤ人とイスラム教徒の係争地であるエルサレムを「国際化」することによってパレスチナ問題を解決しよう、というのである。ただイスラエルは従来から、バチカン主導によるエルサレムの「国際化」には一貫して反対している。 しかし2006年になってイスラエルのアシュケナージ・チーフ・ラビであるヨナ・メツガーはチベット仏教のダライ・ラマに対して、世界の宗教家の代表による「宗教の国連」をエルサレムに設立することを提案した。ダライ・ラマは即座に歓迎の意を表したのだが、この場にはイスラム聖職者、およびローマ教会と非常に親しい米国ユダヤ人協会のラビ・デイヴィッド・ロウゼンも同席していたのである。 ヨハネ・パウロ2世の死を受けた2005年4月のコンクラーベでベネディクト16世(ジョセフ・ラツィンガー)が選出された際に、世界各国の反応の中で米国ブッシュ政権とイスラエルの手放しの喜びようが印象的だった。ラツィンガーは長年ヴォイティーワの元で教理省長官を務め、実質的なバチカンのナンバー2であった。当然オプス・デイとは強い関係で結ばれている。彼の選出を決めたのはオプス・デイの全面協力であった。彼らはアルゼンチンのホルヘ・ベルゴリョなどの有力なライバルから支持者を引き離すべく、中南米の枢機卿を中心に猛烈な根回しを行ったのだ。 《注記:ラツィンガーが生きたまま教皇を辞めた後に教皇フランシスコとなったのがこのホルヘ・ベルゴリョである。しかしラツィンガーは「名誉教皇」としてバチカンに居座っている。これはバチカン内の激しい権力闘争を現しているのだろう。》 ベネディクト16世も極めて親ユダヤであり、イスラエルに反感を表明するイスラム教徒たちに対しては厳しい姿勢をとり続けている。そして彼の懐刀でカトリック・シオニストのクリストフ・シェンボーンは、このコンクラーベの直前に、欧州のキリスト教徒のイスラエル支持はホロコーストへの罪悪感に基づくものではなく、シオニズムが「ユダヤ人に対する聖書の命令」だからである、と語った。 ここでシヨン運動と対立したシャルル・モラスが20世紀初頭にマルク・サンニエに宛てた手紙の一部を引用しよう。(聖ピオ10世司祭兄弟会の翻訳による) >>326 そうだったんか 詳しく教えてくれてさんがつ >>209 鎌倉殿の13人にも匹敵するような血みどろの権力闘争してるらしい 《あなたはフランス語でのミサや晩課と、ローマの権威から完全に離れた聖職者を、希望していますね。そうなったら必ず残念に思うでしょう。『ローマ』が廃止されるならば、このローマとともに聖伝の一致と力が失われるでしょう。カトリック信仰に関する書き物の記念碑(聖書を指す)は、ローマから外れた宗教的影響を受けることになるでしょう。直接にテキストを、特に書簡を読むでしょうが、もしローマが説明しなければ、ユダヤ的であるこの書簡はユダヤのようにふるまうでしょう。(・・・・)ローマから離れることによって、私たちの聖職者はますますイギリス、ドイツ、スイス、ロシア、ギリシアの聖職者たちのように変わっていくでしょう。彼らは司祭から「牧師」「福音の僕」になり、ますますラビニスムに近づき、少しずつエルサレムへとあなたを導いてしまうでしょう。》 文中の『ユダヤ的であるこの書簡』はおそらく新約聖書中の預言書ヨハネの黙示録を指すと思われる。これが『ユダヤのようにふるまう』というのは「世俗的(現世的)メシア主義で解釈する」という意味に他ならない。モラスはこの運動が持つ方向性を実に正確に見抜いていた。そしてこの流れがシオニズムと共同で第2バチカン公会議を生み、オプス・デイの台頭を導くと同時に現在のシオニスト主導のバチカンにつながる。 すでに『ローマ』は廃止されつつありカトリックは着実にエルサレムへと導かれてきている。そして今、世界中の宗教、思想、道徳がこの都市に招かれようとしている。 >>346 ヨハネ・パウロなら病死やで 大司教だっけな暗殺説あるけど陰謀論とか都市伝説的な話しでもある 世界統一宗教?:第8部のまとめと次回予告] 教皇ピオ10世(1903~14)は、シヨン運動を禁止するために1910年に書いた回勅の中で、この運動が「世界統一宗教」に進む方向性を敏感に感じ取り、次のような見事な予言的警告を発している。(聖ピオ10世司祭兄弟会の翻訳による) 《そしてこの世界統一宗教とは、いかなる教義、位階制も持ち合わせず、精神の規律も無く、情念に歯止めをかけるものも無く、自由と人間の尊厳の名のもとに(もしもそのような「教会」が成り立っていけるならば)合法化された狡知と力の支配ならびに弱者および労苦するものらへの圧迫を世界にもたらしてしまうでしょう。》 ピオ10世はシヨン運動に隠された「反キリスト」的性格を見抜いた。『自由と人間の尊厳の名のもとに合法化された狡知と力の支配』はネオコン主義そのままであろう。そのような世界が『世界統一宗教』とともにやってくる、というのである。そしてそれは現在、半ば達成されているように思える。その中心にあるのがエルサレムなのだ。 次回はオプス・デイの教義内容に迫り、現代世界においてそれがいかなる方向性の持つものかを分析してみたい。 >>232 >>233 同格ないし天皇の方が上やろ 現教皇と違って近寄り難い存在というオーラが強かったな 中東とか東南アジアの大物の死ってそういやあんまり日本で大々的に報じられないな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.6 2024/07/15 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる