【訃報】ローマ教皇が死去
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【ローマ共同】ローマ教皇庁(バチカン)によると、前ローマ教皇ベネディクト16世が31日死去した。95歳だった。
https://www.sakigake.jp/news/article/20221231CO0048/ >>320
なんやそれ草
~何世とか名乗るのおかしくね? エスクリバーは1902年にスペイン北部のバルバストロという田舎町で生まれたが、そこには改宗ユダヤ人、スペイン語でマラノあるいはコンベルソと呼ばれる人々の子孫が多く住んでいた。スペインには1492年のカトリックによる統一の以前には数多くのセファラディ・ユダヤ人がいた。その過半数はカトリック教徒によって追放されたが一部は改宗してそのままスペインに残った。そして彼らの中には「隠れユダヤ教徒」として秘密裏にその信仰を守り続けた者もいた。
彼が父方の姓を変えてまでその出自を隠そうとしたのはなぜか。「マラノの子孫」であることにひけ目を感じていたのか、あるいは修道院に入るのにキリストから嫌われた「律法学士」の名では不都合だと考えたのか、そのへんはわからない。ただ当時はユダヤ人に対する「キリスト殺し」の汚名と偏見がカトリック社会の中で強く根付いており、それが彼に有形無形の圧力をかけていたことは想像に難くない。
1928年にオプス・デイを作りカトリック僧として左翼思想を敵視していたエスクリバーはスペイン内戦中にフランコと出会うのだが、フランコとオプス・デイの関係は単にお互いの利用以上のものがあったであろう。
そして、内戦終結のわずか4年後の1943年に、オプス・デイの幹部であったラファエル・カルボ・セレルが、おそらくスペイン王政復古の画策を開始するために、スイスに亡命中のスペイン王家・ブルボン家の後継者ドン・フアンと会見している。このようなコンタクトは、欧州の「雲の上」を通して物事を動かすことの出来る巨大な力が介在しない限り、実現できるようなものではありえない。
さらには1942年からローマへの本部移転の下準備を始め4年後の46年にエスクリバーはローマに移ったのだが、その後わずかの間に、フランスのロベール・シューマンやエドゥモン・ジスカールデスタン、イタリアのアルチデ・デ・ガスペリといった政界の大物を取り込んでいるのだ。この集団は単なる新興教団ではない。 >>192
2 人の助っ人に挟まれた和製大砲が4番を打つっていうクッソロマンあるやつの何がアカンのですか! 東西冷戦を集結させた共産党書記長:ミハイル・ゴルバチョフ
世界帝国の女王:エリザベス2世
中国が急成長した時代を牽引した国家主席:江沢民
カトリック教会の最高権威たるローマ教皇:ベネディクト16世
森羅万象を司り、現実改変能力を持つ聖帝:安倍晋三
やっぱ安晋がナンバーワン! 20世紀の前半にシオニズムとバチカンの両方に深く関わりどちらをも支えてきた要素として英仏のロスチャイルド家がある。そして後半では米国の姿が大きく浮び上がるが、彼らは同時にナチス・ドイツをも誕生させ育てた。当然だが、そのどちらにも世界の支配階層となったユダヤのマモン崇拝者たちの姿を見ることができる。
《米国とナチス・ドイツとの関係については、「イスラエル:暗黒の源流 ジャボチンスキーとユダヤ・ファシズム」の「第7部 ナチス・ドイツを育てた米国人たち」を参照のこと。
十字架と六芒星が重なってくる。ニューヨークにあるオプス・デイ米国本部にはカトリックに付き物の聖人像や聖画は無く十字架すらほとんど目に付かない。ここに七支の燭台があればそのままシナゴーグに代ってしまうのかもしれない。『律法学士』たるエスクリバーの背後にユダヤ支配者の影が濃く映る。ヴォイティーワとエスクリバーは最初から共通の基盤の上に立っていたのだ。 ローマ教皇だと!彼は一体何師団保有しているのかね? 昔明らかに暗殺されたローマ法王おったよなバチカンの銀行改革しようとして内部の人間に殺された説が有力なやつ 2013年に存命中の教皇としては約600年ぶりに退位
教皇ほかにおるやん 昨日の磯崎新ペレヴィヴィアンウエストウッドの畳み掛けで終わりと思ったのに大物きたわね オプス・デイの教義内容に関しては次号で詳しくご説明したいが、この教団が第2バチカン公会議の「申し子」として勢力を伸ばしてきたことは今までにも申し上げた。そしてその公会議に多大な影響を与えたものが三つあることもお話してきた。一つは米合衆国憲法、二つ目はシヨン運動(フランス革命の思想)、そしてユダヤ(シオニズム)である。この三つに思想上の共通点があるとすれば、おそらく「現世主義」「世俗的メシア主義」とでもいうべきものだろう。
以前のカトリックの特徴であった現世否定的な姿勢はこの公会議を境にほとんど消えて無くなった。旧来なら、キリストの再臨を待たない理想世界の建設は「地上の王国」の理想化であり反キリスト的な発想として糾弾されるべきものであったのが、この公会議を境に180度の変化を受けた。
オプス・デイは、イエズス会やフランシスコ会などのような僧侶中心の組織ではなく、基本的に世俗組織である。社会のピラミッドで中~上層部を構成する実業家、知識人、法律家や政治家、エリート軍人などがその能力を最大限に発揮できるように、その教義が組まれている、と考えたらよい。
それは一見すると、「貧民救済」の発想をイデオロギー化させたイエズス会系の「解放の神学」とは逆のように見えるが、「世俗的メシア主義」という点では全く一致している。この二つは第2公会議で生まれた『双子の兄弟』、鏡像の関係にあるものと言って構わないであろう。
面白いことに、カトリックの変化よりも先にユダヤ教の内部で類似の大変化が起きていたのである。神が遣わすメシアの登場を待たずにパレスチナの地に戻ろうとするシオニズムの台頭である。現在でも少数派ではあるがシオニズムに頑強に反対する旧来のユダヤ教徒たちがいる。そしてそのシオニズム運動とマルク・サンニエのシヨン運動はともに19世紀後半のほぼ同時期に誕生した。
《注記:トーラーを聖典を仰ぐ正統派のユダヤ教徒たちは、神から遣わされたメシアによらずにパレスチナの地に戻ることをユダヤ教に対する冒とくであるとして、シオニズムとイスラエルを厳しく批判している。》 前教王やんけ
今年の厄全部引き受けて綺麗綺麗にしてくれ さらにオプス・デイが一貫して敵視してきたマルクス主義にしても、ある種の「世俗的メシア主義」と言って差し支えないだろう。これもまた19世紀後半から主に左翼ユダヤ人たちによって急激に広められたものなのだ。もっと言えばヒトラーやムッソリーニのファシズム思想すら同様に考えることもできよう。
そして今までに述べたどの側からも希求されるものは、それぞれにニュアンスや使用する論理は異なっていても、人間の手と意思による「理想社会」「地上の楽園」の実現であり、これらの動きの全てがそれを理論化し合理化しようとしている。そしてその果てにあるものは何であろうか。
[エルサレムへ]
2003年7月に、イスラエルの元首相で労働党首シモン・ペレスは、エルサレムを国連の主導の元に象徴的な「世界の首都」とし国連事務総長に「市長」となるように提案した。ユダヤ人とイスラム教徒の係争地であるエルサレムを「国際化」することによってパレスチナ問題を解決しよう、というのである。ただイスラエルは従来から、バチカン主導によるエルサレムの「国際化」には一貫して反対している。
しかし2006年になってイスラエルのアシュケナージ・チーフ・ラビであるヨナ・メツガーはチベット仏教のダライ・ラマに対して、世界の宗教家の代表による「宗教の国連」をエルサレムに設立することを提案した。ダライ・ラマは即座に歓迎の意を表したのだが、この場にはイスラム聖職者、およびローマ教会と非常に親しい米国ユダヤ人協会のラビ・デイヴィッド・ロウゼンも同席していたのである。 ヨハネ・パウロ2世の死を受けた2005年4月のコンクラーベでベネディクト16世(ジョセフ・ラツィンガー)が選出された際に、世界各国の反応の中で米国ブッシュ政権とイスラエルの手放しの喜びようが印象的だった。ラツィンガーは長年ヴォイティーワの元で教理省長官を務め、実質的なバチカンのナンバー2であった。当然オプス・デイとは強い関係で結ばれている。彼の選出を決めたのはオプス・デイの全面協力であった。彼らはアルゼンチンのホルヘ・ベルゴリョなどの有力なライバルから支持者を引き離すべく、中南米の枢機卿を中心に猛烈な根回しを行ったのだ。
《注記:ラツィンガーが生きたまま教皇を辞めた後に教皇フランシスコとなったのがこのホルヘ・ベルゴリョである。しかしラツィンガーは「名誉教皇」としてバチカンに居座っている。これはバチカン内の激しい権力闘争を現しているのだろう。》
ベネディクト16世も極めて親ユダヤであり、イスラエルに反感を表明するイスラム教徒たちに対しては厳しい姿勢をとり続けている。そして彼の懐刀でカトリック・シオニストのクリストフ・シェンボーンは、このコンクラーベの直前に、欧州のキリスト教徒のイスラエル支持はホロコーストへの罪悪感に基づくものではなく、シオニズムが「ユダヤ人に対する聖書の命令」だからである、と語った。
ここでシヨン運動と対立したシャルル・モラスが20世紀初頭にマルク・サンニエに宛てた手紙の一部を引用しよう。(聖ピオ10世司祭兄弟会の翻訳による) >>326
そうだったんか
詳しく教えてくれてさんがつ >>209
鎌倉殿の13人にも匹敵するような血みどろの権力闘争してるらしい 《あなたはフランス語でのミサや晩課と、ローマの権威から完全に離れた聖職者を、希望していますね。そうなったら必ず残念に思うでしょう。『ローマ』が廃止されるならば、このローマとともに聖伝の一致と力が失われるでしょう。カトリック信仰に関する書き物の記念碑(聖書を指す)は、ローマから外れた宗教的影響を受けることになるでしょう。直接にテキストを、特に書簡を読むでしょうが、もしローマが説明しなければ、ユダヤ的であるこの書簡はユダヤのようにふるまうでしょう。(・・・・)ローマから離れることによって、私たちの聖職者はますますイギリス、ドイツ、スイス、ロシア、ギリシアの聖職者たちのように変わっていくでしょう。彼らは司祭から「牧師」「福音の僕」になり、ますますラビニスムに近づき、少しずつエルサレムへとあなたを導いてしまうでしょう。》
文中の『ユダヤ的であるこの書簡』はおそらく新約聖書中の預言書ヨハネの黙示録を指すと思われる。これが『ユダヤのようにふるまう』というのは「世俗的(現世的)メシア主義で解釈する」という意味に他ならない。モラスはこの運動が持つ方向性を実に正確に見抜いていた。そしてこの流れがシオニズムと共同で第2バチカン公会議を生み、オプス・デイの台頭を導くと同時に現在のシオニスト主導のバチカンにつながる。
すでに『ローマ』は廃止されつつありカトリックは着実にエルサレムへと導かれてきている。そして今、世界中の宗教、思想、道徳がこの都市に招かれようとしている。 >>346
ヨハネ・パウロなら病死やで
大司教だっけな暗殺説あるけど陰謀論とか都市伝説的な話しでもある 世界統一宗教?:第8部のまとめと次回予告]
教皇ピオ10世(1903~14)は、シヨン運動を禁止するために1910年に書いた回勅の中で、この運動が「世界統一宗教」に進む方向性を敏感に感じ取り、次のような見事な予言的警告を発している。(聖ピオ10世司祭兄弟会の翻訳による)
《そしてこの世界統一宗教とは、いかなる教義、位階制も持ち合わせず、精神の規律も無く、情念に歯止めをかけるものも無く、自由と人間の尊厳の名のもとに(もしもそのような「教会」が成り立っていけるならば)合法化された狡知と力の支配ならびに弱者および労苦するものらへの圧迫を世界にもたらしてしまうでしょう。》
ピオ10世はシヨン運動に隠された「反キリスト」的性格を見抜いた。『自由と人間の尊厳の名のもとに合法化された狡知と力の支配』はネオコン主義そのままであろう。そのような世界が『世界統一宗教』とともにやってくる、というのである。そしてそれは現在、半ば達成されているように思える。その中心にあるのがエルサレムなのだ。
次回はオプス・デイの教義内容に迫り、現代世界においてそれがいかなる方向性の持つものかを分析してみたい。 >>232
>>233
同格ないし天皇の方が上やろ 現教皇と違って近寄り難い存在というオーラが強かったな 中東とか東南アジアの大物の死ってそういやあんまり日本で大々的に報じられないな ヨゼフ・アロイス・ラッツィンガーって名前がもう強い >>84
ヨハネパウロで止まってるアホが偉そうな口きくな >>346
ヨハネ・パウロ一世な
ロッジP2、アンブロシアーノ銀行の不祥事でマフィアと繋がってたマルチンスク大司教が秘密暴露を恐れて殺した説が濃厚 ロッジP2事件から明らかにバチカンは何か得体のしれない勢力に乗っ取られてるって言われてる
統一教会的ななにか 「死んだプロテスタントだけが良いプロテスタントだ」って言った人? 最後の最後でまた大物が亡くなったな
そしてプーチンは生き残ると この人達もさ
剣と魔法のフィクション(ゲームとか漫画)に触れたり誰かがゲームやってるの後ろから眺めたりすんのかな
この魔導士ちょっと自分に似てるなとか
このストーリーやロジックはうちの宗派を参考にしてるなとか
思うんやろか ファチマの予言/聖母マリアからの警告・・・?
バチカン/カトリック教会が公式に一般に公開した
FATIMA-ファチマ、の第三の予言
1981年の教皇(故ヨハネ・パウロ・2世)狙撃事件と
将来、ヨハネパウロ2世が多くの聖職者たちの遺体を乗り越えて
進もうとする時、彼(教皇)自身も銃撃を受けて受け死んでしまう
という内容が手持ちの資料にはあります。
発表されたのは故ヨハネ・パウロ・2世暗殺未遂事件後に
教皇がファチマの聖母マリアでの列福式ミサの後で・・・
同時にルチア(ファチマで聖母マリアを幻視した少女の1人)が
書いた原文の一部も同時に公開され・・・
それには・・・ヨハネ・パウロ・2世が殺害される時の光景が
具体的に記され?・・・
ルチアが書いた原文によれば
白い服を着た司教(教皇は司教職の最高責任者)が
他の司教、司祭、修道者たちと共に急な山を登り
荒削りの木材で作られた十字架に向かって行く・・・
・・・との様子から始まり・・・
「そこにたどりつく前に、教皇は半ば廃墟と化した大都市の中を通り
そこに横たわる無数の死体のために祈り
その悲しみと苦しみで振るえ、進んでいったのです」
とルチアは書いている。さらに続き
「教皇が山の頂上に到着し、大きな十字架の元にひざまづいて
祈っていると、兵士の一群がやってきて
銃弾や矢で教皇を殺した」
そして・・・教皇と共にやってきた人々も同じように殺害された・・・
「すると突然、十字架のもとにいた天使が
流された殉教の血を水晶でできた灌水器で集め
聖水のようにそれを(殺された)魂にふりかけると
殺された殉教者の魂は神に向かって昇っていった」
とルチアは書いている・・・ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています