人力車夫事件(じんりきしゃふじけん)は、1925年(大正14年)の第6回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)で、日本大学が学外の人力車夫を選手の「替え玉」として走らせた不祥事である。
経緯
1925年1月6日に開催された箱根駅伝の往路第2区を走った前田喜太平(元警察官)が神奈川県藤沢の中継所に到着した際、本来第3区を走るはずの選手とは別の人物が待っていた[1]。前田は襷を繋いだが、このランナーが追い抜きの際に「アラヨット!」という声を上げたことで人力車夫であることが露見した[1]。しかし公式記録は取り消されず、本来エントリーしていたランナー名で記載された[1]。
日本大学は不祥事の責任を取り、翌年の第7回大会の参加を辞退した[1]。
第99回東京箱根間往復大学駅伝競走★33
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213それでも動く名無し
2023/01/03(火) 13:21:16.70ID:eESvvH+H0■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています