プロ10年目が終わった1958年に球団事務所を訪問すると、球団から「思い切ったことを考えているから、後日また来るように」と言われる。3日後、杉下が再度訪問すると「西沢(当時37歳)と服部(当時38歳)には辞めてもらう。30歳以上の選手は不要」と伝えられた。杉下自身も翌年には34歳になるものの、杉下には残留が要請された。しかし、その要請も投手としての登板を考慮されないものであり、別の日に訪問すると監督就任を要請された。杉下は前年にも11勝を挙げているために本人は寝耳に水だったが、監督就任を受諾する条件として服部と西沢の背番号(10・15)を永久欠番とし、引退試合を行うことを要請した。この条件は了承され、杉下は自身の背番号20も欠番にするかと問われても、「まだチームにいます」として拒否した
中日の永久欠番はちょっと訳ありやからな
【悲報】永久欠番、全く生まれる気配がない
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302それでも動く名無し
2023/01/06(金) 15:33:26.50ID:O6HgNdWM0■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています