和久津プロには、母親が作るご飯を食べた記憶がない。「お母さんは体がどんどん動かなくなっていく脊髄小脳変性症という難病にかかったんです。私がひらがなを覚えた頃から、ひらがなボードでしか話ができない状況で、ほんのひとことぐらいしか喋れないという環境の中で育ったんで、声読み、表情読み、目追いというのはその頃からやっていたんです」と母親のほんの少ししか動かせない顔の表情筋から、何を言いたいのかを当てる幼少期を過ごした。
 
小学2年生の頃から母親に代わって、家族5人分の家事は和久津プロが担うようになった。「家に戻るとすぐに洗濯機を回わして、夕飯の買い出しに行って、お風呂掃除して、ご飯作って、後片付けをして、最後に自分がお風呂に入ってからやっと宿題ができるという毎日でした」と学校の休み時間だけが唯一、友達と遊べる時間だった。