「我が娘が学校のアートレッスンから持ち帰ったもののように見えますな」(1965年、エチオピアで最古とされている芸術作品を鑑賞した際に発言)[74]
「英国人女性は料理ができない」(1966年)[75]
「ロシアにはとても行きたい。まぁ野郎どもが私の家族の半分を殺したんだけどね」(1967年に、記者からソ連へ訪問する意思の有無を問われた際に発言)[76]
「我々は、来年赤字を出すだろう。私は、ポロを多分諦めねばならないだろう」(1969年、王室の財政問題について記者会見で発言)[74]
「これの開設を宣言します。これが何の施設であれ」(1969年、カナダ訪問中にとあるイベントで発言)[77]
「いつも何でうがいをしてるんだい?小石?」(1969年、ロイヤル・バラエティ・パフォーマンス(英語版)でトム・ジョーンズの歌唱を観覧した後に質問)[78]
「君はただのホワイトホールの木っ端役人だよ。君は私を信用しないし、私も君を信用しない」(1970年、ホワイトホールで国家公務員に対して発言)[79]
「(移動に必要な)労力を考えれば、もうこんな所には来るつもりはないよ。楽しい事なんて、他にいくらでも考え付くんだから」(1976年、カナダを訪問した際に発言)[78]
「国民は、我々の生活にはもっと休みが必要だと言ってたくせに、今度は仕事がないなどと文句を言っている」(1981年の不況時に発言)[75]
「あなたは女性ですよね?」(1984年、ケニア訪問時、現地人女性に質問)[75]
「ここに長くいたら、(中国人みたいに)目が細くなりますよ」(1986年、中華人民共和国訪問時、西安に留学中の英国人学生に)[80][74]
「4本の脚があるが机ではないもの、2つの翼で飛ぶが飛行機ではないもの、水の中を泳ぐが潜水艦ではないもの、それら全てを広東人は食べる」(1986年、世界自然保護基金の会合にて発言)[77]
「生まれ変わったら、死のウイルスになって人口問題を解決させたい」(1987年、著書の序文で)[81]
「女性の弁護士は、法律違反かと思った」(1987年、女性弁護士に対して発言)[82]
「貴方達の国は、絶滅危惧種が売買される世界でも悪名高い国の一つですよ」(1991年、タイで自然保護に関する賞を受け取った際の発言)[83]
「おお嫌だ、酷い病気にかかるかもしれないじゃないか」(1992年、オーストラリア訪問時、コアラを撫でるように頼まれた際の返答)[75]
「火災で最悪なのは、火を消すために使った水による損害だと言われます。実際、(1992年に火災に遭った)ウィンザー城もまだ乾ききっていない有様です」(1993年、ロッカビーにてパンアメリカン航空103便の機体が墜落した道路沿いの住民に対して発言)[74]
「貴方はまだ太鼓腹になっていない事から察するに、この国にはそこまで長くは住んでいないのでしょう」(1993年、ハンガリー訪問時にブダペストで在留英国人に発言)[77]
「あなたたちはほとんど海賊の子孫なのではないのですか?」(1994年、ケイマン諸島訪問時、現地人に質問)[75]