せっかく人質時代やったんやからこういうエピソードの伏線張っときゃよかったのに


孕石元泰
『家忠日記』『三河物語』に拠れば、今川家臣時代は人質時代の徳川家康と屋敷が隣り合わせであった。鷹狩りが好きな家康が放った鷹が獲物や糞を隣家の孕石の屋敷に落としており、度々苦情を申し立てていた。

天正7年(1579年)より遠江高天神城の在番を務める。高天神城は翌年から徳川軍の攻囲を受け、同9年(1581年)3月22日に高天神城が徳川軍に攻略される(第二次高天神城の戦い)。元泰は捕らえられ、翌23日に切腹させられた[2]。

なお、降伏者で切腹を申しつけられたのは孕石一人であった。