菅野直らが所属した有名な第三四三海軍航空隊(通称343空)に特攻の下問が来た際
司令官の源田實(実)中佐が飛行長の志賀淑雄少佐に相談した時のやり取り

源田「うちに特攻に出せと言って来たよ」
志賀「誰が言いました?」
源田「……」
志賀「良いですよ、やりましょう。私が先頭で出ます。優秀な士官兵は全員出しましょう。若い予備士官は出しちゃいけません。司令、あなたは最後に出撃してください」
志賀「それと一つ、条件があります。」
源田「なんだ?」
志賀「その特攻に出せと言って来た参謀を連れて来てください。私の後ろに乗っけてやりますから。特攻がどういうものか最期に知って貰いましょう」
源田「…全くだ」

それ以降、三四三空に特攻の打診が来る事は二度と無かった。



志賀淑雄
海軍兵学校62期卒
空母『加賀』『隼鷹』の戦闘機隊長を歴任し数々の空戦を経験。
その後、海軍航空技術廠のテストパイロットとして『烈風』『紫電改』の開発に携わる。
第三四三海軍航空隊の飛行長として終戦を迎える。
戦後は航空自衛隊からの誘いを断りノーベル工業に入社、防弾チョッキや特殊警棒を開発。
1955年に同社社長となり1994年に会長を退任。
元零戦パイロットで構成される零戦搭乗員会の会長も務める。
2005年(平成17年)11月25日、死去。享年91。
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