チリ地震を契機に、三陸でも近いうちに地震による津波で甚大な被害を被る事態を想定していたことから、自宅の裏山を私財を投じて避難所として利用できるように10年かけて整備していた。高さ30m程の山に4方から昇れる石段を作り、頂上には広場と東屋、8畳ほどの小屋を作り、食料や水、燃料などを常時備蓄。大地震直後は40名程の人が既に避難してきていた。津波は直ぐにやってきて更に30名程が命からがらに避難し合計70名程の人が避難し、自衛隊が来るまでの2日間を過ごした。日頃、山は「佐藤山」と呼ばれ、時に変わり者と呼ばれながらも、結果的に70名もの人命を救うこととなった。


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