1944年3月に卒業後12月25日に入隊し、野球経験者という理由だけで中隊対抗の手榴弾投げ競争の代表選手に選ばれた。

そのために弱肩を言い出せず、投球フォームを上手投げに矯正して必死に遠投を練習した結果、肩が強くなって優勝した。
1945年には中国に出征し、同年3月21日に海軍に所属していた兄・安佑が特攻隊として沖縄方面へ出撃して戦死し、少佐に二階級特進となった。

終戦後は杉下自身も捕虜収容所に入れられ市中引きずり回しまでさせられたが、井戸水の上澄みだけを飲むようにしたことが功を奏し生き延び1946年1月に帰国した。