重要な輸出産業を失った日本は鉄鋼産業、自動車、カラーテレビなどへ輸出産業を変えていきます。1980年代には自動車の輸出台数が20年前の2万台から240万台へ増加し、これも日米貿易摩擦の火種となっていきました。
 自動車輸出の自主規制を受け入れた日本政府は、それ以降、円高と貿易摩擦の激化を解消するために日本国内の内需拡大を目指しました。
 しかし、その後も日米貿易摩擦は繰り返し、そのような中で農産物の輸出拡大を目指す米国は、日本に対して牛肉、オレンジの輸入自由化を求めました。