250万ポンドのスターはどこからやってきたのか
カオル・ミトマは日本の神奈川県で生まれた。小学校の小さなサッカークラブでプレーをしていたが、日本の名門である川崎フロンターレに発掘され、下部組織で教育された。
彼は多くの少年と違い、スターになることを選ばなかった。川崎フロンターレのトップチームプロ契約を拒否し、日本の名門である筑波大学に進学した。
大学のアマチュアチームでサッカーをしながら、サッカーを科学的に研究することを選んだ。
スポーツ科学・生理学・栄養学などを学び、ドリブルの学術論文を書いた。頭にGoProのカメラを装着し、ディフェンダーの動きを分析した。論文はアクセスできず、大学に保管されている。彼のドリブルを見るとそのユニークな経歴を疑うことはできない。
バルセロナの下部組織で育成されたアーセナルDFトミヤスや“日本のメッシ”タケクボと異なり、ミトマが注目されることはなかった。
日本リーグ王者の川崎フロンターレによって監視されていた彼は、卒業後にプロ契約を結んだ。しかし高い評価を得なかった。
ブライトンのスカウトによって見つけ出された彼の獲得は容易だった。川崎フロンターレはわずか250万ポンドでミトマをブライトンに売却した。
日本代表でプレーしていなかったミトマに労働許可が降りず、ベルギーのロイヤル・ユニオン・サン=ジロワーズでプレーをした。
カタールワールドカップの日本代表メンバーに選ばれたが、監督の信頼を得ず、全てのゲームでベンチに座った。
しかし今のミトマはプレミアリーグで爆発し強烈な輝きを放っている。今年26歳を迎えるミトマは突然現れ、リーグ最高峰のウインガーになろうとしている。
しかし彼はスターになっても、流行りの場所に行ったり、お金を使うことには興味がないだろう。自宅で映像を分析し、論文を執筆する。