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88年にリーグ優勝。山本昌や今中慎二を一人前にし、91年には東海地区担当のスカウトに転じた。就任1年目。投手としては物足りないが、
打者として魅力を感じる球児の指名を具申した。
ところがスカウトとしては新米だったからか、上役が賛成してくれない。そこで同僚に「一度、一緒に見てくれないか」と援軍を頼んだ。今で言うダブルチェックである。
頼まれた中田宗男さんが証言してくれた。「当時の僕は関西地区担当だったので、一緒に見る時間をつくれなかったんです。ただ、池田さんは間違いなくその選手を推していたし、
僕も中村紀洋を推していた。まだ僕もスカウト歴は浅かったから事情はわかりませんが、どちらかは指名するだろう。そう思っていたのは覚えています」
その球児の名は愛工大名電の鈴木一朗という。温厚で忍耐強い「課長」にして、慧眼(けいがん)のスカウト。生前を知る仲間たちが、沖縄でもその死を悼んでいた。