キャリアを重ねた谷繁は、2001年に海外FA権を行使。メジャーリーグへの移籍も十分に想定されていた。実際、谷繁は入団テストも受けており、サンディエゴ・パドレスから入団オファーがあったと言われている。もし谷繁がメジャーに移籍していれば、日本人キャッチャーでは史上初のメジャーリーガーになっていた。

 だが、自身が満足できる条件ではなかったこともあり、メジャー移籍を断念。その後は横浜残留も取り沙汰されていたものの、中日に移籍した。中日での14シーズンでは、ゴールデングラブ賞を5回獲得。選手兼任監督も務めるなど、間違いなく一時代を築いたキャッチャーである。