【朗報】佐藤さん「ここ津波来るかもだから避難用の山作らなきゃ…」近隣住民「うわぁ…w」←結果
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
近隣住民「山のお陰で助かった…😭」
手作り避難所、70人救った 10年かけ岩山に 東松島 (1/2ページ)
「津波なんてここまで来るわけがない」。そう言われながら、約10年がかりで岩山に避難所を造った男性がいる。700人以上が死亡した宮城県東松島市で、この場所が約70人の命を救った。
東松島市の野蒜(のびる)地区。立ち並ぶ高さ30メートルほどの岩山の一つに階段が彫られ、登り口に「災害避難所(津波)」と書かれた看板があった。お年寄りでも上れるように段差は低く、手すりもある。平らになった頂上には、8畳の小屋とあずま屋、海を見渡せる展望台が立てられていた。
近くに住む土地の所有者、佐藤善文さん(77)が10年ほど前から、退職金をつぎ込んで1人で造った。「避難場所は家からすぐの場所になくちゃってね」。住民には「佐藤山」と呼ばれていた。
地震があった11日、佐藤さんが4人の家族と犬を連れて登ると、すでに40人ほどがここに避難していた。津波は「ブォー」と膨れ上がって押し寄せ、立ち木や家屋がなぎ倒される音がバリバリと響いた。
いったん波が引いたあと、「第2波には耐えられない」とさらに人がやってきた。「線路の辺りで波に巻き込まれた」という傷だらけの男性など4人も流れ着き、避難した「佐藤山」の人々が棒を差し出して引っ張り上げた。避難者は70人ほどになり、お年寄りやけが人は小屋でストーブをたき、男性陣はあずま屋でたき火をして夜を明かした。
夜が明けると、1960年のチリ地震による津波でも床上浸水だった周辺は、流失した家屋やがれきで埋め尽くされていた。避難した遠山秀一さん(59)は「『ここには大きな津波は来ないよ』と佐藤さんの作業を半ば笑って見ていたけど、先見の明があった」と感謝する。
一方、周辺では指定避難場所も津波に襲われ、多くの人が犠牲になった。佐藤さんはこれまで「大きな津波は、建物ではダメ。高台に逃げるのが鉄則」と市に訴えたこともあったが、「佐藤山」は指定されなかった。 物語だと佐藤さんが小屋に行ったら村人で満員で佐藤さん追い出されてる展開 よく笑ってヤツ追い出さなかったな偉い
ワイならまず小屋から知らんヤツら全員追い出して
ここいたいんやってら東屋の方行けやゆうとるとこや キチガイレベルの善人じゃねこのジジイ
いくら老後ヒマでも退職金と10年つぎ込んで作らんだろ 一方大川小ではすぐ裏に山があるのに散々待機した挙げ句橋のたもとに行脚したのであった 200~300年ぐらいたったら日本昔ばなしに収録されそう Google Mapだと「おさとうやま」になってる 以前津波の被害に遭った先人が「ここより下に家を作ったらあかんで」って石碑をちゃんと建ててたんよな
でもみんな「こんな所まで津波来るわけねーだろw」って思ってた中で馬鹿にされながらもそれを信じた人がおったという 一方その頃小学校では…
教師「地震?うーん校庭に集合!w」 原爆ドームなんて作ったから原爆落ちたんだよな
つまり津波避難所なんて作ったから… >>20
子供の一人が「ここにいたらみんな死んでしまう!」って泣いて懇願したのに先生は「ここまで津波は来ない」って言うてそれを聞かんかったんよな 50年後ジャップ「何この山?こんなところに津波なんか来ないのにw」 >>18
記事読んだ限りだと
佐藤さんがこの崖作ったわけじゃなくて、元々こういう石切り場の崖があったところに佐藤さんが階段作ったって事なんだろ? 他にも津波教育を受けていた子供達だけが真剣に考えていて逃げなきゃダメだと言って聞かないから
仕方なく子供に付き合って高台に登ったらその直後に津波が来て助かったというような話も山ほどあるんよな
津波教育を子供に教えてる側の大人に危機感がなかったとかいう >>44
一人で崖作ったと思ってる奴そこそこいるの怖いよな
そもそも崖作るってどういうことやねん >>44
そらせやろ
一からこんな山作り出したら金も足りんし認可もおりんわ 佐藤さん…遂にやったんやね!
応援してた甲斐があったで でももし津波来なかったらめっちゃダサくね?
そういうリスクもあるし何なら津波警報くらいで騒がん方がええ こんにちは、近隣住民の佐藤です。改めて地震の方は大丈夫でしたか? >>20
教師見限って山に逃げたガキは足の骨折りながら走って助かったで 堤防作って無駄遣いすんなって批判されてた人もおったよな >>35
トンボ佐藤って埼玉まで苦労して帰ったって言うけどトンボ鉛筆って都心じゃなくて王子にあるのを最近知った >大津浪記念碑(おおつなみきねんひ)とは、大津波の被害を受けた地域の住民が
>子孫への警告として設置した記念碑。同様のものは日本各地にあり
>津波常襲地帯である三陸海岸で海と接する岩手県内だけで200基を超える
>このような過去の津波に遭遇した先人たちの警告は、時間の経過と共に徐々に忘れ去られ、石碑よりも海側、やがて海岸近くにも家が建てられるようになっていった。
>こうした状況下で東日本大震災による津波が発生し、再び多数の人命が失われたのである。
>また姉吉地区の話ではないが、地区によっては「土地を手放したい地主」「一部悪質不動産業者」などが
>石碑をうとましく(石碑のせいで土地が高く売れず風評被害だと)思い
>勝手に海側へ移築してしまった例もあるという。これでは正しい情報は、伝わりにくいといえる。
ヒトカスさあ… >>49
人工の山なら建物と変わらんし佐藤さん自身「建物じゃダメ」って行政に言ってるのにな
この記事読んで「持ってる山を避難用に整備した」って理解できない奴は本当にヤバい >>59
足の骨折ってる時点で重症者入りしとるやん😩 11時すぎ、茨木市で男性死亡の一報が。それが後藤孟史さん=当時(85)=だった。自宅の本棚の下敷きになり、亡くなった。まもなくメールで回ってきた別の記者の取材メモで、後藤さんの人となりを読んだ時、不思議な親近感を覚えた。無類の本好き―。蔵書量はかなわないだろうが、私も本の虫なのだ。
「出て行け」
その晩、後藤さんの取材に加わる。後藤さんのマンションを最上階から1部屋ずつ訪ね歩く「ローラー作戦」を実行したが、さすがに後藤さん宅だけは呼び鈴を押せなかった。途中、マンション自治組合の理事という男性に遭遇した。「君は何者だね」と尋ねられたので「共同通信の記者です」と、正直に答えた。「出て行きなさい」と叱責され、エレベーターに無理やり押し込まれた。
「君らマスコミももう少し住民の気持ちを考えたらどうなんや。人間のやることやないで」。理事の発言は正論に思えた。しかし、私たちは犠牲者の遺族の証言を取りに行くのが仕事。「申し訳なく思いますが、遺族の声や犠牲者の人となりを全国に伝えるのが私たちの仕事です」。精いっぱい反論したが、「では、君をつまみ出すのが私の仕事だ」と退去命令を受けた。返す言葉もなく撤収した。
翌日も朝からマンションに通う。エントランスに「部外者立ち入り禁止」の張り紙。敷地外で待機していると、住民の男性から「あなたたちはこれ以上不幸が起きるのを楽しみにしているのか」と尋ねられた。同行の先輩記者が一生懸命説明して住民は納得してくれたようだったが、僕の気持ちは晴れなかった。
https://nordot.app/384981456605676641 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています