JAXAの皆さんはご苦労さん。
失敗や中止というのはこの際どうでもいい
一番恐ろしいのは失敗いうた記者をここぞとばかりに叩いてる民衆や 
とやかく比較するのは避けたいけど欧米ではこういう質問が問題になることすらないし、むしろ民衆はメディアになぜこのような結果になったのかの真相解明を期待してる。
だけどこの国では記者の言い方がけしからんだの物事のホンシツを見ようとせず、「何を言ったか」ではなく「誰が言ったか」にこだわる。封建社会のように政府や機関が民衆の上に位置してることに疑問を抱かないばかりかむしろ国の誇りだと嬉々として受け入れ、自分も"その側"であろうと、ナショナリズムの一尖兵として、このような稚拙な攻撃に走る。戦前では「○○人、○○のスパイ」「非国民」「不敬」、最近では「負け組」「弱者」「○○世代」と収入、人種、出自などなにかにつけてレッテルを貼り、諸原因をおしつけて「自決しろ」というように社会から追放しようとする。その結果、国全体に意見を表することすら億劫になる雰囲気が作られる。
このムーブは戦前からなにも変わっていないどころかむしろSNSの発達でより悪化してる。かつての日本やドイツの失敗、現在進行形のロシアの失敗さえ認めず、そこから学ばなかったらこの国はどうなるんだろうね