国産ロケットH3の打ち上げは「失敗」である

JAXAは「ある種の異常を検知したら止まるようなシステムの中で、安全、健全に止まっている」と言い、今回の結果を「失敗だとは考えていない」と説明した。その言葉を額面通りに受け取るなら、「中止」と表現して良いのかもしれない。だが、「中止」と「失敗」のどちらがより正確かつ客観的に状況を伝えているかと言えば「失敗」という言葉ではないだろうか。

今回は点火後に何らかの異常事態が発生し、爆発や墜落といった最悪の事態を回避するために、発射直前で打ち上げを「中止」する装置が作動したのだという。でも、打ち上げようと思っていたロケットを打ち上げることができなかったのだから、「失敗した」と形容するのが妥当だろう。

「中止」という言葉には、悪天候で取りやめたという程度の軽やかさ、大したことないよ、次はできるよ、という感じがある。やろうと思えばできたけど敢えてやめた場合にも、「中止」という言葉は使われる。

この言葉のアヤみたいな話は、1945年8月15日に発生した出来事を「終戦」と呼ぶか「敗戦」と呼ぶかという問題によく似ている。よりビビッドに事態を表現しているのは「敗戦」だが、日本人の多くが今なお「終戦」という言葉を使いがちであるように、客観的過ぎる表現は、当事者には時に受け入れ難いものである。

https://www.newsweekjapan.jp/nishitani/2023/02/h3.php