橋北中学校水難事件は、1955年7月28日に三重県津市の津市立橋北中学校の女子生徒36人が、同市中河原海岸で水泳訓練中に溺死した水難事故である。

様々な説明
こうした事柄がどうして起ったかについては、いろいろな説がある。
「足の裏の砂がすうと動くように感じ」(女生徒)
「海底の砂がくづれて流されている様子であった」(女生徒)
「流で足をさらわれ倒れかかったこともあった」(泳げない組女生徒)
「北に向きをかえて泳ぐととても泳ぎやすかった」(泳げる組女生徒)
「自分は少しは泳げるのにこの日はほとんど泳ぐ間もなしにブクブク流されていって溺れた」(泳げる組女生徒)
「後向きに陸の方へ行こうとしたけれどもなかなか進めなかった」(女性教諭)
「急いでそこへ行くと...後から押されるように前に浮き上るのを感じた」(教諭)
「後から突きだされるような感じをうけながら溺れていた生徒を助けたが」(教諭)
「2人目の救助に向かった時、急に潮の流がきつくなってきてさざ波もたち...(コムラ返りを起した友人の)○○は足がなおって浮袋をもちながら戻ろうとしても流がきつく、
なかなか戻れなかった」(女生徒の救助に当たった男子水泳部員)