あいつめっちゃエリートやん



1年間京都駿台予備校で浪人生活を過ごした後[10][8]、1976年に東京大学文科一類に入学し[1]、法学部第三類政治コースに進む[7]。法学部政治学の篠原ゼミに入る前にハンナ・アーレントの研究論文を作成した時には、教授から「マチュアー(成熟している)」という評価をもらったという[1]。その後、司法試験と国家公務員上級試験を受験したがいずれも不合格となり、また学者の道に進むこともなかった[1]。大川は、司法試験について論文問題にて実務家的論述ではなく学者的な視点で過去の判例を痛烈に批判する答案を提出したために合格できなかったとし、大学に残らなかったのは、思想家としての自分が師事すべき教官がいなかったと悟ったためと自らを振り返っている[1]。

1981年に法学部を卒業し、総合商社のトーメン(現豊田通商)に入社[1]。翌年1982年8月に米国法人のニューヨーク本社に研修生として派遣され、その間にベルリッツ語学学校ニューヨーク校を卒業[1]、ニューヨーク市立大学大学院センターで国際金融論を学んだ[PR 3]。

大学を卒業して商社マンとして勤める一方、この時期に宗教家としての「霊的覚醒」が始まったとされる[PR 3]。