「あの年はね~、各球団に候補者名簿を渡して、それで“返事をください”と。で、これは絶対外に漏れないような極秘なことなんで…っていうことで球団にリストが届いたの。そっから選手に言って。そしたら、選手たちが2008年の北京(五輪)の岩瀬(仁紀)のことがあってね。まあ“俺らも行って、またこういう(岩瀬のような)目に遭うのは嫌だな”っていうようなものが(候補の選手たちに)感情的にあったんだと思う。そしたら“できたら断ってください”っていうようなことが全員、俺のところに言ってきたんだわ」とNPBからのリストの存在や、候補選手として名前が書かれた選手との詳細なやりとりを明かした。

 落合氏は続けて、リストには「5~7人ぐらい入っていたと思う。全員がああいう目に遭いたくないっていうかね。直にみんな見てるもんで。どれだけ大変だったのかっていうのは想像がつくんでね」と候補者リストの人数を回顧。選手らに「“個人的に断るか?”って言ったら“まとめて断ってください”っていうようなことで“じゃあ球団として断る”っていうことで返事をしたんだわ。それが漏れたっていうだけのこと。内密のことだから、それは漏れたら“誰が漏らしたんだ”ってなるじゃない。誰が漏らしたかは知ってるけどね。あえて名前は言わないけども。よその球団でも辞退した選手はいるんだよ。それらは守られていたんだ。だからウチだけ球団で全員行かせないような方向性を出したのか、監督が自ら行かせないようにしたのかっていうようなこと(が憶測として報じられた)。それで新聞沙汰になったけども。実際は、行く行かないの権利っていうのは選手が持っているんであってね。選手が行きたくないって言えば、それはそれで筋は通るはずなんだけども、ややこしくしちゃった」とプロ野球史に残る“事件”をしみじみと思い返していた。