2004年に義父のアレックス・ラミレスを頼り大学を休学して来日。練習生として当時義父が所属していたヤクルトスワローズの二軍の練習に参加した。12月10日、残留交渉が難航したラミレスの契約の一環としてジュニアとも選手契約が行われた[1]。ラミレスが2005年からの3年契約の為ジュニアも3年契約となった[1]。
野球経験がないまま、所謂「コネ入団」で投手扱いで入団しており、その言葉に相応しく当時は直球は130km/hに満たず、制球もままならなかった[1]。当初は右投とされていたが、左でも投げられることが判明したため、投手をするときは左で投げるようになった[2]。
2005年の春キャンプでは、2日目で太ももの張りを訴えてダウン。運動不足によるただの筋肉痛であった[2]。3月18日、二軍の教育リーグ(湘南シーレックス戦)で実戦初登板。1回を投げ3四球1失点という結果に終わっている。


これよりマシだろ