また、父はトミー・ラソーダと親友で、マイクは、1977年のロサンゼルス・ドジャースがリーグ優勝決定の試合後、シャンパンファイトの輪に入れてもらうことができた[2]。

高校では打率6割を記録するも無名校のためどこからもドラフトで指名されず、マイアミ大学へ進学するも出場機会に恵まれず、試合に出場したいため、マイアミ・デード大学へ転校[2][3]。スカウトからの誘いがなかったが、ラソーダはマイクがかつてバットボーイの空いた時間にドジャースの投手相手にした打撃が忘れることができなかった[3]。

1988年のドラフトでドジャースから62巡目(この年に1433人指名され1,389番目)に指名された。これは父がラソーダの知り合いであったことからなるラソーダの意向によるお遊び指名というのが通説である。球団から電話がかかってきたのは指名から2か月後で、契約金は15,000ドル、捕手として入団[3]。ラソーダは間もなくドジャース史上最も攻撃的捕手の一人になるだろうと評した[4]。捕手をやるのはリトル・リーグ以来で、「ラソーダのペット」という陰口に耐え、捕手について学んだ。