「彼は本当にひたむきで努力家。そこは誰もが認めるところです」

 そう語るのは、開成高校野球部時代、岸田総理と同級生だった会社役員の関根正裕氏である。

「野球部の合宿ではグラウンドから宿舎まで5キロほどの道のりをランニングして帰ることになっていました。部員によっては歩いたり、休んだりしてしまう中、彼は決してさぼらず、宿舎に着くと、マラソン選手のように倒れこんでいました」

 当時、岸田総理はショートかセカンドを守り、打順は2番を打つことが多かった。関根氏が今でも語り草になっているエピソードを披露する。

「2年生の夏季大会の東京都予選2回戦のことです。都立高と対戦した開成高校野球部は、6回表、8-1と大きくリードされ、セカンドを守っていた岸田に打球が飛んでくるとトンネルを許してしまい、さらに失点してしまった。その後、開成は1点もとれずに9-1で7回コールド負け。最後の失点が岸田のミスによるものでした」

 当時の朝日新聞によれば、件の試合は1974年(昭和49年)7月22日、神宮第一球場で行われている。開成野球部は四球を15個も与えてしまい、記事でも〈開成は投手陣の乱れが痛かった〉と厳しい指摘。