播磨で情けないやつ探してたら風土記にこんなんあった

大汝命(大国主)と小比古尼命(スクナビコナ) との間で「粘土を担いで行くのと糞を我慢して行く、どちらが先に行けるか」という話になった。

大汝命は糞を我慢して行き、小比古尼命は粘土を担いでいくこととなった。数日後、大汝命は「私は我慢できない」とその場で用を足してしまった。小比古尼命も笑いながら「疲れた」と粘土(ハニ)を岡に放り出した。このためハニ岡と呼ばれるようになった。

また、大汝命が用を足したときに、笹が糞を弾き上げて服についてしまった。このため波自賀村(はじかのむら)と呼ばれるようになった。この粘土と糞は石となって今もあるという。