スポーツジャーナリストが言う。

「栗山監督は野村克也氏がヤクルト監督に就任した90年のオフに、
29歳の若さで引退しました。原因は野村監督のイジメにあったと
言っていい。野村監督は囲み取材でも『アイツが嫌い』と言って
のけ、記者がその理由を尋ねても、明快に答えることはありま
せんでした。栗山監督はストレスからメニエール病を悪化させ、
右肘の故障もあって、引退を余儀なくされた」

栗山監督がテスト生としてヤクルトに入団した際に面倒を
見ていた、片岡宏雄元ヤクルト編成部長は「栗山も古田敦也
も笘篠賢治も、そして長嶋一茂も、ノムさんは大卒選手と
いうだけで毛嫌いする」と嘆いていたという。

「嫌いというより、苦労人のノムさんにとって、大卒で
キラキラしている栗山監督や一茂が苦手だったのでしょう。
だから一茂の世話役を栗山監督に押しつけた。結果的に、
ノムさんの対応や一茂の世話が、栗山監督の財産に
なりました。」(ヤクルト球団関係者)