ドミニカ共和国出身のフランコは、10年に国際フリーエージェントでフィラデルフィア・フィリーズに入団。未来の正三塁手として期待を集め、マイナーリーグのオールスターゲームに13~14年と2年連続で出場し、14年には有望株を格付けするプロスペクトランキングで、全体17位(Baseball America)の評価を得た。

その年の9月にメジャーデビューを果たすと、翌年はシーズンのほぼ半数に当たる80試合に出場し、打率.280・14本塁打を記録。特に6月は打率.352・8本塁打・OPS1.039の猛打で、月間最優秀新人に選ばれた。
16年以降は完全に主力として定着し、3年連続で20本塁打以上を記録。王朝が終焉を迎えた後のフィリーズ暗黒期を強打で支えた。

しかし、一発の魅力はあれど確実性に乏しく、三塁守備はエラー数でリーグのワースト5に4回も入る拙守が災いしてその後はジャーニーマンと化し、20年以降はカンザスシティ・ロイヤルズ→ボルティモア・オリオールズ→ワシントン・ナショナルズと毎年のようにユニフォームが変わった。