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ユニフォームまで捨てとるからな

連覇に挑んだ翌99年は3位に終わり、駒田はチームがうまく機能していないと感じていた。

 「優勝したことで、チームにいろんな色が出てきました。監督は、かわいがっている一部の選手とつるんでね。
10月のある日、危機感を持つ選手会長の石井琢朗(現広島コーチ)が首脳陣と選手を集めて『チームが一つになれるようにお願いします』と話したんですよ。
おれに振るなよ、絶対に振るなよと思いながら聞いていると、『駒田さん、何かありますか?』って」

 チーム最年長の37歳は、キャプテンを務めていた。

 「おれはいいよと固辞して、終わってから石井と監督室を訪ねればよかったんでしょうけど…。みんなの前で
『同じ釜の飯というじゃないですか。3つも4つも釜があると、どれを食べていいのか分かりません』と話したんです。それ以降、権藤監督は口をきいてくれませんでした」

 駒田は通算2000安打に残り73本で翌2000年の開幕を迎えたが、なかなか調子が上がらなかった。
6月18日の広島戦(横浜)で事件は起きた。2打席連続三振の後、六回の好機に代打を送られ、試合途中に帰宅してしまった。

 「人生の中で一番頭にきましたよ。代打を出されたことより、自分の居場所がないと感じてね。ロッカールームで暴れて、ユニホームをゴミ箱に捨てて…。
山下大輔ヘッドコーチが心配して『2000本という目標があるじゃないか。きょうは帰っていいから(次戦の)神宮には必ず来いよ』と言ってくれました。
新聞には『無断帰宅』と書かれましたが、山下さんの言葉がありますから、無断じゃないですよ。でも責任転嫁をしたくなかったので、名前は出しませんでした」
https://www.sanspo.com/article/20150717-7IHDTDEUDVJENJENURFOXT7TIM/