>>774
なお村田は許せなかった模様


「うわっ、こんなところに来なきゃよかったと思いましたよ。横浜(現DeNA)の打撃コーチに就任した2008年オフのことです。
神奈川・横須賀での秋季練習の初日。開始の1時間くらい前に着いて、コーチ室に入りました。すでに5、6人いたけど、新聞を読んだり、うつむいたままで、誰も口をきかないんですよ。
そのうちに大矢明彦監督が到着しましたが、状況は同じでした」

 横浜は第2次大矢政権2年目の08年、12球団最多の94敗を喫して最下位。09年も開幕6連敗を喫するなど、不振が続いた。

 「当時の主力にボスがいて、ミーティングではレギュラーの座をつかみかけている若手と最前列でふざけているんですよ。コーチの話なんか、誰も聞いていません。
選手はやさしくしてくれるコーチの所にしか集まらない、甘ちゃんチームでした。
大矢監督も最初の監督時代(1995−97年)はミーティング中に声を張り上げることがありましたが、この年は何も言わないんですよ。チームに立て直す力がなく、無力感に襲われました」

 主力の扱いにも疑問を感じた。

 「シーズン中に足を肉離れしたボスは、1軍に戻ってきても五回までしか出ないんですよ。
実は30%くらいしか治ってないのに、フリーエージェント(FA)の権利取得日数を稼がせるために1軍に上げていると知って驚きました。
ある試合で五回で退いたのに、ベンチで姿が見えなくなったんですよ。トレーナー室をのぞいてもいなくて。どこにいたと思います? 監督室に入り込んで、テレビを見ていたんですよ。
一応、試合中継でしたけど…。この時は外野守備走塁コーチの波留敏夫がえらかったですね。『二度とこんなことをするな!』と叱っていましたから」
https://www.sanspo.com/article/20150718-EKNUDZFCZNNDXB2G6OKGU6GNLE/?outputType=amp