【ガチの】プロ野球「黒い霧事件」とはなんだったのか【八百長】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
一番最初、発端は
西鉄の外国人野手カール・ボレスが対戦相手コーチの与那嶺要に
「ウチにわざとエラーする選手がいる気がする」
とこぼしたこと。 報知新聞の西鉄番記者もそれを聞き、ネタを会社に持ち帰る 一方、西鉄球団内ではそれとは別に1969年シーズン中に既に
「選手が八百長を演じているのではないか」
との疑惑を抱き、極秘に調査を開始していた。 >>3
別に行方知らずなのは別段珍しいことではないらしいけどな
この時代で年金受給資格満たしてないプロ選手の消息は不明ってのが多いとか しかしその2年前の1967年シーズン中。
西鉄の1軍投手コーチが、関西の試合になると不審な
ピッチングをする投手陣に疑いを抱き、問い詰めていた。 アメリカ日本韓国台湾
全部八百長試合が行われた過去がある 結果、八百長の疑いが確信となり、直ちに中西太監督・球団に報告した。
が
「むげに選手を疑った」
とされそのコーチは2軍降格処分となった。 この最初に八百長が疑われたシーズンの西鉄の成績
2位・66勝64敗10分 .508
めちゃくちゃ離された2位だが、悪くはない。(1位は阪急) 主なローテPの成績
池永正明:54試合23勝14敗 335.1回 防御率2.31
与田順欣:48試合13勝11敗 210.1回 防御率2.44
田中 勉:40試合12勝10敗 216.0回 防御率2.17
後に全員が追放されます さて1969年に戻って7月、大阪での南海戦でフルボッコにされたにも関わらず
悪びれる様子も見せないあるPに疑念を抱いた西鉄球団社長・国広直俊は
その投手・永易将之を呼び出し問い詰めた。 永易は肯定も否定もせず震えたまま。
これを見た国広は「こいつはクロだ」と確信
そこへ報知新聞&読売新聞社会部が共同で取材に。 国広
「残念ながら事実でした」
「なので永易は今シーズン限りで解雇とします」
「他の2人の選手は永易に誘われ、一時、八百長に加わっただけですでに反省しているので処分の対象としません」
この年の永易
32試合88イニング2勝6敗防御率3.27 翌10/8紙面で両紙が
「永易・八百長行為」
をスクープ 当然、永易宅にはマスコミがズドドドド
永易
「俺はやましいことはない。でもこうなった以上何を言っても聞いてもらえないでしょ」
と言い残し普段着のまま行方をくらます。 10/13パリーグ定例理事会
パリーグ会長岡野祐
「疑惑の挙がった選手を何ら処分しないのはおかしい」
「よって永易を野球協約の中の条文の失格選手として処分する」 10/14コミッショナー委員会(注:当時は3人の合議制でやってた)
委員長宮沢俊義
「ここで失格処分とすると永易は球界と関係ない人物となって本人の呼び出しなどの調査が出来なくなる」
一理ある そんな中、まだ創刊間もない新興雑誌だった「週刊ポスト」が野球賭博を追及する記事を掲載開始。 10/17号では暴力団による野球賭博の実態に迫った記事を掲載。
そして10/25号では当時中日ドラゴンズ投手で元西鉄ライオンズ・田中勉をこの事件の主犯格とする記事を掲載。 これに対し田中は記事の内容は事実無根だとして10月21日に弁護士を伴って週刊ポスト編集部を訪ねて抗議。
謝罪と記事の撤回を求めるが、編集長の荒木博は拒否。 10/16、夕刊フジ記者住谷礼吉が偶然、福岡から大阪へ向かう飛行機の中で永易を発見。
永易
「絶対にやっていない」
「でも今更何を言っても無駄」
と言い残しまた行方をくらましてしまう。 10/22、西鉄監督兼選手の中西太が監督辞任を発表。
後日、国広社長も11/30付で辞任。
11/28、コミッショナー委員会は永易に対し、永久出場停止(追放)という日本野球界初の処分を下す。
(まだこの時点では行方不明) >>6
地元帰って意外とええ暮らししてるかもしれんのか 一方、中日ドラゴンズは田中勉に対し12/15、トレード要員にすると通告。
しかしどこも名乗りを挙げなかったため19日、自由契約を通告。
この年の田中
22試合118.1回8勝6敗防御率3.12
クビになるわけがない数字 先にも書いたように田中は1966年の完全試合投手。
その年は23勝12敗という素晴らしい成績。
翌年は12勝10敗と落ちたがそれでも良い数字。
ここで西鉄は25%ダウンの年俸を提示する。
当然田中は拒否。 豊田泰光、高倉照幸と毎年のように主軸を放出していたように
西鉄は球団経営に余裕が無く、この年のターゲットは田中。
つまりここで拒否されるまでは予定調和。 豊田泰光、高倉照幸と毎年のように主軸を放出していたように
西鉄は球団経営に余裕が無く、この年のターゲットは田中。
つまりここで拒否されるまでは予定調和。 結果、中日の明らかに格下な若手野手・広野功と交換トレードが決定する。
しかし、田中は2年で事実上永久追放にされてしまい、
西鉄も数年で広野を巨人に出してしまう為中日ファンは激怒した模様。 >>13
中日に持ち込んだのは佐藤公博だったはず。佐藤→葛城隆雄、小川健太郎 ちょうどその頃、スポーツ好きの超党派の議員で構成されるスポーツ振興国会議員懇談会が
国会でこの事件を取り上げることを決定する。 ここではある議員が
「もしかしたら永易が暴力団によって軟禁されているのではないか」
と発言。
これに対して高松敬治警察庁刑事局長が
「初耳だ。関係者からの申告を待って調査に乗り出したい」
と答弁し3/10には警視庁は永易の行方を大阪府警、静岡県警に指示。 しかし永易はこの頃、69年12月には離婚し
新たな彼女と札幌に隠れて住んでおり、軟禁などはされていなかった。 69~70年にかけて、田中に訴訟を起こされていた週刊ポストは
クロの証拠を掴むために永易の居場所を独自に探していた。
ポストのライターで、永易と取材を通じて面識があった元デイリー記者の大滝譲司が
永易の親族や友人などに
「もし何かあったら連絡を」
とあたると、後日永易から会いたいとの連絡が入る。 70年3月、週刊ポスト紙上で永易は
「八百長をしていた」
「西鉄から逃走資金550万円を受け取った」
ことを告白。 スポニチはモスクワ滞在中の西鉄オーナー楠根宗生に国際電話で
インタビューをするも
「そんなことあるはずがない。彼は処分された選手だ」
と全面的に否定。 ノムのささやきは黒い霧の調査という風潮
ほんとなん? 4/1フジテレビ「テレビナイトショー」が
(プロ野球ニュースが始まる少し前の番組らしい)
「八百長は西鉄の他の選手から頼まれたこと」
「そして八百長を演じた選手は自分以外にもいること」
を示唆する報道を始める。 こうなると他マスコミからは
「永易いい加減に小出しにしないで公の場に出てこいや」
といった声が出る。 実は永易は超党派の議員から連名で捜索願が出されていた。
(軟禁されていたわけではないけど) 4/5(もう野球開幕近いじゃん)
永易は警視庁捜査四課の捜査員と会い、
自らの八百長と楠根オーナーから口止め料を貰っていた事、
さらに八百長は自分以外にも選手がいたことなどを供述。
ついにゲロった。 この流れでどっかの投手がボートかなんかの八百長の主犯やったやつがバレたのほんま草生える マスコミ紙上での「告白」はまだ続き
4/6内外タイムス「独占スクープ第4弾」では、
「親しいチームメイトのY投手から頼まれた」
「Y投手に頼んだのはHさんといって、M投手の知人でぼくも知っている人」
「Yから頼まれてF選手をとめた」
「Y投手がとめたM捕手とM選手はともに30万ずつわたしたそうです」
「HさんはI投手にやらせたくて、Iと親しい中日の田中勉さんに頼んで百万円を田中勉さんにわたしたのを知っています」
と、なぜか田中だけは実名。
しかしこのイニシャルも実名同然・・・ しかし共同通信はこれを実名にした記事を配信。
これは多くのスポーツ紙や地方紙に掲載された。 4/7週刊ポストは永易インタビューのさらに続きを公開、
4/8「テレビナイトショー」は司会者の前田武彦と大滝が永易にインタビューする映像を放映。
永易は
「自分が演じた八百長は3試合でそのうち1試合のみが成功」
「この試合で自分以外に八百長に関わった選手がいる」
と明言。 同日、西鉄オーナーと球団社長が記者会見
楠根「事実無根である」
記者「それについて告訴は?」
楠根「考えていない」 プロ野球開幕前日4/10、大滝は先の超党派議連の
自民党代議士・塩谷一夫に
「永易が会いたいと言っている」
と連絡。
塩谷は永易が公の場に現れて事情を説明することを条件に出し、
大滝もこれを了承した。 脱税事件も新聞は最初イニシャルが載ってた覚えあるわ ちなみにプロ野球史上初の八百長をしたのは1936年の巨人
プロ野球初年度のこの年は大会をいくつかやってそれぞれの大会の優勝者に勝ち点を与えて勝ち点の合計数で年度優勝を決めるという方式だった
巨人と大阪(阪神)が年度優勝争いをしていたので巨人は大阪の勝ち点を阻止するために八百長をした
具体的には阪急と大阪が優勝争いをしていた大会で阪急に故意に負けて阪急に勝点を取らせた 塩谷は、共同の記者会見を行い、コミッショナー委員会の喚問に応じるよう永易を説得。
週刊ポストの弁護士の原秀男は
「先に委員会に出て実名をだし、後で記者会見をやって、名前は委員会にきいてくれ、ってした方がいい」
と助言。 >>55
みんな多分理解が追いつかんで「草」くらいしか言わんやったやろうな 西鉄は三原が去った直後くらいから八百長に汚染されてた、という話でというのも三原の後任だった川崎徳次が大のバクチ好きで、平和台の西鉄ロッカールームに借金の取り立て893が頻繁に出入りしてたのは有名。川崎の他にもバクチで多額の借金こさえていた選手が複数いた 午後3時、衆議院第二議員会館第一会議室で
大滝、塩谷、原らとともに永易は半年ぶりに公に姿を現した。
しかしここで記者団からは選手の実名を挙げるよう迫られてしまう。 >>60
今よりもヤーさんの数も勢力も強かったんやろな 「自信がないから言えないんだろう」
「もしでたらめだったら、名前を上げられた選手たちは、大変迷惑なんだよ」
「ここは国会の中だ。この記者会見は、日本で最も権威のある会見とも言えるんだ。
いままで、特定の記者に話したことを、この席で言えないなんて、失礼だと思わないか?」 じっとうつむいたままの永易。
隣にいた塩谷議員が、たまりかねて助け舟を出した。
「同僚の名前を口にしたくないきみの男としての気持ちもわかる。
みんなもわかってくれている。言いなさい。」 顔を上げた。
「ピッチャーでは益田、与田、それにぼく。
そのほか、船田、基、村上、池永、田中勉さんです。
池永には田中さんから言ってます。」
そして新たに佐藤公博(元南海)へ謝礼と引き換えに
先発投手の名前を漏らしてたことを公表した。
永易は自分の八百長についてはチームメイトの与田から誘われたこと、
また与田は藤縄という人物と知り合って八百長をしたのがきっかけであると述べた。 西鉄球団は同日午前に上記6選手を呼び事情聴取。
6人全員が永易の発言を否定したためシロと発表。
逃走資金についても否定。
パリーグ会長の岡野は、11日に福岡へ行き
結果永易の主張には裏付けが取れないとして西鉄はシロであると結論付けた。
が、マスコミはこれをヌルいと断定。 さっき名前が挙がった藤縄、とは神戸の牛乳販売商だった。
15日深夜にわざわざ朝日新聞の名古屋本社に自ら出向いて
記者のインタビューに答え
「西鉄のオーナーとはあったこともない」
と永易の発言を否定。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています