日本の若手の映画作家たちの作品を見せてもらったときにわたくしが最初に指摘するのは、7分長すぎた、9分は削れたはずだということなのです。短すぎる失敗作というものは存在せず、失敗作のほとんどは、きまって長すぎる作品だからなのです。
 実際、クエンティン・タランティーノQuentin Tarantinoの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(Once Upon a Time in Hollywood, 2019)の上映時間161分は、彼自身が編集権を持っていながら、いくら何でも長すぎます。140分もあれば充分だったでしょう。かりにわたくしがその製作者だったら、『デス・プルーフ in グラインドハウス』(Death Proof, 2007)の上映時間113分も、語られている内容としては上映時間100分を切れたはずですから、あと15分ほどは短くできたはずだといっていたでしょう。そうすれば、観客に、もっと見ていたいという気持ちを起こさせることができたはずなのですが、最近の作品のほとんどは、そうした期待を起こさせてはくれません。むしろ、いったいいつ終わるのだろうかというきわめて不健康な問いばかりが見ている自分をいらつかせるのです。
 …この簡潔さを、タランティーノの『デス・プルーフ in グラインドハウス』の弛緩ぶりと較べてみて下さい。これはタランティーノの作品としては比較的短いものでありながら、やはりかったるく思えてなりませんでした。実際、現代においても、まともな映画作家のほとんどは、90分~100分で充分に語りきれる物語を撮っているはずなのです。ゴダールを見てごらんなさい。彼はほとんどの作品を90分で撮りきってみせています。しかし、最近のハリウッドの映画は、ほとんど150分ほどのものばかりです。そんなとき、デヴィッド・ロウリーDavid Loweryは、その『さらば愛しきアウトロー』( The Oldman & the Gun, 2018)を93分でぴたりと語り終えてみせる。さすが、と思います。
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