スコット・ボラス

母親はフランス系移民。ルイジアナ州の貧しい家庭に生まれ、幼少期は清掃員の母の仕事を手伝いながら学業と野球に励む。
奨学金特待生として州立大学へ入学する予定だったが、母親の入院費を稼ぐためにハイスクール卒業後はアルバイトをしながらカブスとカージナルス傘下のマイナーチームと契約。4年間の現役生活の後、膝の悪化を理由に引退。メジャーリーグには一度も昇格できなかった。(この間に母親と死別している)
カブスの援助でパシフィック大学マックジョージ法科大学院にカブスの援助で進学し、医学訴訟を専攻。工業薬理学の博士号も取得。
その後医療過誤に特化したシカゴの法律事務所に勤め、かつての同僚がメジャーリーグに昇格する際に代理人を依頼してきた事を契機にスポーツ・エージェントとしてのキャリアをスタートさせる。

代理人業の収入の一部を高額な医療費に苦しむ患者への援助団体へ寄付している