藤浪は初めて中継ぎに配置転換された'20年秋、体中から発せられる危険信号に人知れずおびえ続けていた。

「このまま投げ続けたら、ホンマにつぶれてしまうんちゃうかな……」

それは自身最速162kmを計測し、ついに完全復活かと甲子園、野球ファンを熱狂させていた時期の裏話だ。

「人の勝ち星とか勝利打点を背負って投げる場面はそれだけ気持ちが入る。多分、アドレナリンが出すぎて、越えてはいけない一線を越えて腕を振り切ってしまっていたのでしょうね。普通に投げているつもりでも常時150km後半、160km台が出る。あの状態を続けていたら、あと数年で野球ができなくなっていたかもしれない」

選手生命の危機さえも予感させる恐怖にさいなまれていた頃から、大器の価値観には変化が生まれ始めていたように映る。

「自分だって、いつまでもずっと野球をできる訳じゃない」