公判の冒頭、検察官は、事件のあらましをこう説明した。
親子は、大阪市南部にある築60年木造2階建て長屋の一角で2人暮らしだった。
2022年2月中旬ごろから母親が寝たきりになり、布団の中にふん尿を垂れ流す状態になった。
与えられた食事は口にしていたが、固形物を飲み込めなくなるほど衰弱。
4月下旬の朝、息子の119番で駆けつけた消防隊員は居間の布団の中で亡くなっていた母親を発見した。死因はふん尿でぬれた状態が続いて体温が奪われたことによる凍死。
身長約152センチだった母親の死亡時の体重は38・7キロで、後頭部の床ずれは骨まで達していたという

検察官は、適切な医療措置を取っていれば母親は生き永らえることができたと指摘し事態を放置し続けたことは「拷問といっても過言ではない」と激しく非難した。

 ▽病気を繰り返す息子に「もう仕事せんといて」
起訴内容をマスク越しのくぐもった低い声で
「間違いありません」と認めた息子は、その後の本人尋問で、自身の生い立ちと事件に至るまでの経緯をとつとつと語り始めた。

1959年、4人家族の次男として生まれた。元々人と話すのが苦手で、内気な性格。
小学生の時にいじめに遭って以来、人と関わることを避けてきた。
大学は理工学部に進学したが単位を取れずに中退し、コンピューターソフト開発やゲーム機製作、ディスカウントショップ勤務など、職を転々としていた。

転機は50歳を前にしたある朝に訪れた。目を開けようとしても、まぶたが開かない。
最初は睡眠不足だと思ったが、心配して駆けつけた母に促されて病院に行くと、目元の筋肉に力が入らなくなる
「重症筋無力症」と診断された。「そのうち治る」と話して仕事に行こうとしたが、見かねた母に引き留められ、実家に戻ることになった。
父に先立たれた母と同居後も、警備員をしたり印刷工場に勤務したりしたが、いずれも交通事故や病気で数年のうちに退職した。