De山崎の抑え剥奪歴
2016
しかし8月に入ると、公式戦4日連続の救援登板でいずれも失点[17]。4試合で合計10失点を喫した影響で月間の防御率が15.12に達するほどの大不振に陥ったが、山﨑への信頼が強いラミレス[18]の方針により二軍への降格はなかった。
一時はセットアッパーの三上や田中健二朗がクローザーを務めたり、ビハインドの場面からの救援登板を経験したりした[19]が、9月以降は復調。

2017
シーズンでは開幕を一軍のクローザーとして迎えたものの、4月13日の対阪神戦・4月14日の対ヤクルト戦で2試合連続救援に失敗。同月16日の対ヤクルト戦からは、この年に入団したスペンサー・パットンのクローザー起用を前提に、セットアッパーへ再び転向した[23]。
転向後は、セットアッパーとしての登板15試合すべてを無失点に抑え、1勝0敗11ホールドを記録するほど復調。
その間にパットンの投球内容が安定しなかったことも背景に、ラミレスの要請で5月20日の対巨人戦(いずれも横浜)でクローザーに復帰

2020
開幕から9試合で6セーブを挙げたものの、9試合全てで安打を打たれ0勝2敗防御率6.48という不安定な内容であり[36]、7月27日の広島戦で満塁本塁打を含む5失点で3敗目を喫すると[37]、7月29日には中継ぎとして登板、抑えの座を三嶋一輝へ明け渡した。
その後も調子は上がらず、10月8日に二軍へ降格[38]。

2021
後半戦開始直後は10試合連続無失点を記録するなど好調を維持していたが、クローザー復帰後は調子を落とし3戦連続セーブ機会で失点を許すなどし、10月1日に登録抹消された[42]。

調べてみると山崎もちょこちょこ降格しとるやん
もっとフレキシブルにいこうや