一般戦国大名「ショタとセックスしまくってやるぞ!」→豊臣秀吉「女しか興味ないぞ」家臣共「えっ?」
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今からどうにかして秀吉レズビアン説でっちあげられへんやろか 信長「んほぉ!弥助の黒くてデカいチンポ最高ぅ!」
光秀「敵は本能寺にあり!」 ショタっていってもさすがにケツにツッコミはせんだろ?一緒に寝るだけか? >>35
秀吉が女じゃないから難しいんちゃうかなぁ いうてこの頃のショタって15とかやろ
ワイは10ぐらいがええわ >>42
なおあとから攻めてきたキリカスも大概なもよう 戦場に女を連れ込むやつは負けるで!→ほな女じゃなければええんやね
うーんこの >>40
でも小柄やったし子供産まれんかったし女性やったかもしれんのちゃうか >>32
痔が悪化して死んだ武将もおったしな
戦国時代の医者も内蔵治療より肛門のケアする機会が多かったみたいや 前田利家の妻妾
まつ →11歳 利家21歳
聚福院→13歳 利家30歳
隆興院→14歳 利家36歳
金張院→12歳 利家38歳
明混院→13歳 利家50歳
逞正院→15歳 利家56歳
うらやましすぎる ノッブ「ワイと利家は衆道の関係にあったんやでー」
利家「・・・///」
周囲「はぇー、羨ましい・・・」「嫉妬しますよ、殿!」「尊い」
秀吉「ヴォェッ!!」 戦前~戦後しばらく男の子が坊主頭強制された理由ってやっぱりムラムラしないようにするためだろうな >>48
乗馬ってケツに負担かかりそうやしな
鍋島閑叟は痔のせいで馬乗れんかったらしい >>50
なお自分が老衰で死ぬときに事後を託したのはそのホモ(歳上)のもよう 森蘭丸とか
「信長の小姓」っていう属性と名前の字面のせいで
何となく中性的で細面な美少年キャラにされること多いけど
武闘派の家系で本人にも本能寺の武勇伝がのこっており
兄貴があの森長可だったりもするので
絶対ガチムチの汗臭い大男だったはずのヤツ >>49
それちゃんとしたソースがなくて信憑性薄いのに必死に広めてるロリコンが哀れや
少なくともまつが嫁入りしたのは11歳説じゃなくて14歳説のが有力 小早川隆景も大内義隆にやられたかもしれないってのは最近知った。つうか信長の野望の創造で微妙にそんな話が出てきたのは草生えた 毛利秀包がイケメンで小姓にしてるから秀吉も男抱いてる説あるんやで 市民革命起きる前の西欧貴族階級もホモホモしてたからやっぱり上流階級は同性愛にも走るんかね >>63
元春と陶がそんな話してたな
ワイの義兄弟になるのと義隆に抱かれるのどっちがいい的な 女とのセックスは子作りのため
男とのセックスは真実の愛 >>64
あるぞ
この時代に西洋人が梅毒持ち込んだら20年くらいで日本全国に蔓延した こういうのって
後天性のホモってことなん?
環境によって男もいけるようになる? よく大野治長が秀頼の父親やみたいな描写されるけどどのくらいほんまやったんかな? 秀頼浅井の遺伝子あるとはいえでか過ぎないか?
あっ >>74
種無し親父からなぜか子供が急にできたから仕方ないね 梅毒とかいうアメリカ大陸発見から100年かけて世界制覇した性病界の王 家臣「全国を回って美少女にしか見えない美少年探してきたぞ!これで殿も…」
秀吉「むっちゃかわええやん!でもワイは男NGやからそなたに姉妹はおらぬか!?なんなら母親でもええで?」
家臣&美少年「えぇっ…」 >>63
若い頃の隆景は美男子だったらしいな
兄の隆元もやられてたやろうし実の兄弟で穴兄弟だったのってどういう気分なんやろな 農民出身だから親族ほとんどおらんかったし
苦肉の策で他人に生ませるのも仕方ないよな 家康とかいう健康フェチ、梅毒避けで遊女とはセックスしない有能 昔は男色=タバコやブラックコーヒーみたいなポジションだったらしい
かっこつけてファッションでホモになる奴ばっか 当時のコンドームが魚の内蔵という時点で衛生クソだしなあ
尿道からアニサキス侵入不可避 ホモの代名詞みたいな武田信玄は子供おるけど、まったくいない上杉謙信が本物ホモってマジ? >>74
治長は長身やったらしいし
茶々と治長は同じ乳母から育った幼馴染みで普段から仲良くしとったみたいやからな…
秀頼のガタイの良さを見てヒョロガリチビの秀吉が父親ってのは可能性薄いやろなぁ ガキの何がええんやろな
男臭くなる17歳ぐらいが一番エロいのに この時代子宝祈願で寺にいれて
祈祷つって中だししまくってたって最近研究でわかってるんだよな
DNA鑑定とかない時代だもんなぁ >>83
秀吉は農民出身じゃなく父親は武士やで
父親が死んで母親の再婚相手が豪農ってだけ
だから秀吉は普通に士官してたし義父とは不仲 平安貴族の間では衆道はよくある事だったらしいが何きっかけで広まった文化風習なんや >>84
家督を譲ってから処女厨に目覚めて無事ロリコン化した模様 >>80
当時としては珍しい生まれた子は自分で育てろと茶々に言い放ったあたりブチギレ気味やし、九州から帰ってきたら女御や仏僧を処刑追放してるから儀式と称した乱交パーティを勝手にやった説は割と可能性ありそうなんよな >>90
やっても今年の大河みたいに腐女子BL媚びみたいな奴ばっかやし史実と剥離してて意味ないやろ 寵愛()を受けた男が後々大名になったり出世してるし
男同士は愛人に対する贔屓が女相手より強い説あると思う >>101
仏教じゃね?
女抱くなって教えなんやし >>98
家を残す事が第一やからな
誰の子かとか些細なことよ どうせあと10年もしたら配下とけつあな確定ごっこしまくってたみたいな文書がわんさか出てくるやろこいつも
天下統一した後の種無し疑惑といい胡散臭すぎるやろ 信長···黒人部下
秀吉···キリスト教弾圧、朝鮮出兵
家康···白人部下
なんやこのレイシスト··· 昔って中出しアクメしたらほぼ妊娠避けられないのにどうやって避妊してたん >>101
貴族階級やと変に子どもが出来ると跡継ぎ計画とか崩れるから子作り以外の性欲解消は男で済ますっていうのあったんやろ 大した家柄でもねえしそれまでどこで何やって出世したのかよく分からねえような奴が
ぽっと出でいきなり戦国最終決戦の大坂の陣で豊臣方総大将やからな
そら「お前何者やねん」って色々勘ぐりたくもなるわ >>107
地位の為に体を売るのは男も女も同じなんだなあとは感じる >>115
産めばいいじゃん
前田利家なんて11歳を孕ませてるし >>115
家斉「全部産ませればよくない?(子供55人)」 伊達政宗とか武田信玄の衆道絡みの恥ずかしい手紙が残ってるのは面白いよな >>115
種無しか中折れ民かそもそもやってないとかやろ 日本て元々男色に寛容だったのにいつから厳しくなったんだろう
明治あたりか? >>114
日本人を奴隷密輸してたキリストサイドにも問題ある >>121
焼けと命じても焼いてくれないのわかってた毛利元就は、後世に残したくない手紙は返却させていたという https://www.news-postseven.com/archives/20170502_521844.html
武田信玄 男性同士の色恋の痕跡を残す珍しい手紙が存在
歴史小説や大河ドラマで描かれる戦国武将は常に賢く、常に勇ましいが
実際は人間味溢れる一面もあったようだ。武田信玄が春日源助に宛てた手紙は、
浮気はしてないと必死に言い訳するものだった。
【現代語訳】
〈一、弥七郎に度々言い寄ったが、虫気(腹の病)ということで相手にされていない。これは偽りではない。
一、弥七郎を伽(寝床)に寝させたことはない。以前にもそのようなことはない。
まして、昼夜、弥七郎とそのようなことに及んではいないし、今夜もそうである。
一、別して、知人ということで色々走りまわれば、かえって疑いを受け、それは迷惑である。
この条々、もし偽りであれば、当国一、二、三大明神、富士、白山、殊には八幡大菩薩、諏訪上下大明神より罰をこうむるべきである。(以下、略)〉
並み居る戦国武将たちから「甲斐の虎」と恐れられた武田信玄。
1546(天文15)年のものと推測されるこの手紙からは、純情な恋心がうかがえる。
宛先の春日源助は、武田家の軍学書『甲陽軍鑑』の著者であり、
武田二十四将に数えられる家臣・高坂昌信といわれている。
20代の信玄の恋の相手は男性だったのだ。
源助から弥七郎との浮気を詰問されたのだろう。手紙では、言い寄ったことは認めながらも「一度も寝ていない」と必死に弁明し、これが嘘ならば神仏より罰を受ける、と言い切っている。
「当時は男性同士の色恋、衆道が一般的だったとはいえ、その痕跡が文書となって残っているのは珍しく、この一通限りではないでしょうか」(静岡大学名誉教授・小和田哲男氏)
■取材・文/小野雅彦 オスマン帝国とかいう大ホモ国家
戦士文化とホモは切っても切れない関係やな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています