この手のスレ見るたびにこれ思い出すわ

「研究ごっこ」Q&A
https://www.hmt.u-toyama.ac.jp/chubun/ohno/qanda.htm

問 アマチュア研究家が盛んに甲論乙駁している邪馬台国論争についてはどのようにお考えですか?
答 
 専門の学者の中にも畿内説をとる人や九州説をとる人がいますが、どちらも「現時点で推定できること」を語っているだけであって、それに固執しているわけではありません。もし将来誰の目にも決定的な資料が出土し、徹底的な検証が加えられて、もはや間違いはないということになったら、多くの研究者は潔くそれを認めることでしょう。
 さてアマチュアの人々の中にも、邪馬台国に関する諸問題についてまじめに勉強している人はたくさんいます。学ぼうとする努力は大変よいことですし、いろいろな考えを出し合うのも結構なことです。ところが残念なことに、史料を読むための「技術」を習得しないまま、いきなり大それたことをしようとする人も多く、こうした人は際限なく暴走してしまう可能性が高いのです。
 とりわけ古典中国語(いわゆる漢文)を十分学ばないまま、『後漢書』や『三国志』魏書(いわゆる『魏志』)などの原書にぶつかり、文法的にあり得ない読み方や、誤解の上に曲解やこじつけを重ねた珍解釈をひねり出す人が見受けられるのは、中国古典を専門とする者としては大いに憂慮されることです。

 そしてもう一つ問題なのは、邪馬台国にのめり込む自称「研究家」には、邪馬台国以外には関心を示さず、何も知ろうとしない人が多いことです。土台となる幅広い教養を持つことなく、いきなり高い塔を建てようとしても、すぐに倒れてしまいます。こうした人が発表する「学説」は、それだけを見れば筋が通っているようでも、たとえば中国語学や言語学や版本学の見地から見れば無理があったりして、脇が甘いことが多いのです。しかもこの種の人に限って、他者の批判は一切受け入れようとせず、異なる考えの人を攻撃し続けるもので、こういう人々がいるおかげで、プロの学者も「また邪馬台国屋か」と相手にしたがらなくなるわけです。
 プロの学者にもそれぞれ専門があります。しかしたとえば弥生時代が専門だからといって、弥生時代のことだけを学べば学者になれるわけではありません。その基礎となる教養や、研究に必要な「技術」を身につけるのはもちろん、いろいろな研究テーマを手がけて幅を広げていかなければ、深みのある研究もできないのです。邪馬台国に限らず、一つの狭いテーマや一つの文献だけにしか目を向けないのでは、「ヲタク」にはなれても、研究家として大成するのは難しいでしょう。