侍階級でも貧乏すぎやろ

こうした小禄旗本に仕える侍が町人から「三一(さんぴん)」と陰口された三両二分一人扶持の最貧層の武士である[16]。
三一侍は女も買えないし、結婚もできないし、現代と違って年々昇給などしないので、もっと率のいい仕官口を見つけられなければ(大名や大身旗本の家臣は家で固定されているためまず見つからないが)、死ぬまで三一の極貧生活である[17]。
若党や中間はさらに薄給で、下女に至ってはせいぜい1両といったところである[17]。江戸中期以降には物価が上がって茄子鴨焼の初物が7両するのに三一侍たちは相変わらず年収三両二分一人扶持だった。
彼らは一本3両する初鰹など見たこともなく、せいぜい豆腐を拍子木に揚げたあぶたまを菜に酒2合と飯の120文を御馳走とする生活である。