当時は飛ばし記事かと思ったけど

だが、「山川と森の選出は戦力の上でも必要だったが、コンディション不良を理由に辞退の連絡が来た。当時の首脳陣は困り果てたが、ケガでは仕方ないと受け入れた」と、日本代表関係者は当時を振り返る。

結局、西武からは秋山と源田壮亮(29)、外崎修汰(29)が選出され、大会に臨んだが、その陰で秋山が激怒する事態が起きていた。前出の代表関係者が明かす。

「大会を辞退した森が自分のインスタグラムに足を気にすることなくフルスイングする練習風景を撮影し『全力で練習頑張ってます』などとメッセージを入れた動画を投稿したんです。山川も一緒にケガを気にせずに練習する姿が映っていた。表向きはケガを理由にしていたが、彼らは実際には大会に出たくなかったという可能性が高い。その投稿を見た一部の代表選手は『何、これ。ケガしたんじゃなかったの?』と不快感をあらわにし、代表への思い入れの強かった秋山は大会後に森と山川に『これ、どういうこと? ケガで辞退したんだよね。お前らの代わりに出た人もいるんだよ!』と詰問したそうです」

秋山もプレミア12が開幕する前の強化試合で死球を受けて右足の指先を骨折。泣く泣く本大会を辞退となったが、菊池ら代表メンバーが率先して秋山のユニホームをベンチに飾るなど、絆をアピール。秋山は骨折した足を引きずりながら優勝した後の胴上げにも参加した。当時の代表監督だった日本ハム・稲葉篤紀ゼネラルマネジャー(49)も東京五輪のメンバー選出にあたって「日の丸に真剣に向き合えない選手は選ばない」と山川と森の名前を出さなかったものの、態度を批判するなど、気軽にアップされた投稿は後々まで尾を引いた。

「言い訳に終始した2人に秋山は『もう、いいよ。好きにしたら?』と突き放して物別れに終わったといいます。その後、秋山はレッズに移籍し、山川と森は西武のリーダーとしてチームの主流派になった。秋山にとって西武に居場所がなくなっていたのは事実です」(球団関係者)
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