【歴史】1911年のノルウェー・イギリス・日本による「人類初の南極点到達」を競うレースwwwwwww
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🇳🇴ノルウェー隊
→事前に北極に滞在し原住民にサバイバル術を教わり、隊員自ら南極攻略に特化した道具を開発するなど徹底した準備を重ねる。食料を兼ねた大量のイヌとスキーを使い人類初の南極点到達、かなり余力を保ったまま難なく帰還しノルウェーの伝説となる
🇬🇧イギリス隊
→世界最強イギリス軍の技術を使い、馬と世界初の雪上車を持ち込んでのチャレンジ。馬は寒さで使い物にならず、雪上車は即故障
人力で積荷を引いて2着で南極点に到着するも、帰路に遭難し全滅。ノルウェー隊が1着でゴールした証拠を隠滅せず持ち帰ろうとするなど誇り高い行動によりイギリスでは今なお讃えられる英雄に
🇯🇵日本隊
→南極に向かう前に仲間割れを起こし隊長暗殺未遂まで発生。なんとか南極に上陸したが南極点に到達するのは不可能と判断し即帰還(後に上陸地は棚氷であり南極大陸ではなかったと判明)。
帰国後は後援会が探検隊の資金を不正に使い込んでいた事が発覚し借金まみれの余生を送る
https://i.imgur.com/6vcN6xu.jpg 人類初の南極点到達レースに参加した日本国が誇らしい 何度同じスレ立ててんだよ、まだまとめ足りないんか? さっきも同じスレ立ててたのに
そこまでしてレス貰ってまとめたいのか 生き残ってるから実質2位やな
ノルウェーは雪国補正あること考えると1位と言ってもいいかもしれん 無駄に過酷な状況を作り出すと仲間割れするんよ
ノルウェー隊みたいに準備していけば人間関係もなんとかなったやろ >>20
くっそ可哀想
>帰国後、後援会が資金を遊興飲食費に充てていたことが判明し、白瀬は4万円(現在の1億5千万円[30])の借金を背負い、隊員の給料すら支払えなかった。
>自宅、家財道具、軍服と軍刀を売却して[30]、転居を重ね[31]、実写フィルムを抱えて娘と共に、日本国内のほか台湾、満州、朝鮮半島を講演して回り、20年をかけて借金の弁済に努めた[30][32][注 12]。 日本隊の国旗は徐々に外側に動いてて
最終的に海にパージされるらしいな 欧米は南極がどういうもんか知ってたけど日本人はほぼ全員が知らんかったからな
その差自体がまずデカいわ、目茶苦茶寒い場所程度の認識しか無かったし >>22
これ後援会の人間暗殺して回っても許されるやろ >>26
言うてイギリスの方がアカンやろこれ
馬連れてってポシャって帰り遭難とか まあアジアから一応参加しただけすごいっちゃすごいんだろうけど… >>31
せやから関係者が死んだ1970以降叩かれてる場合が多い 犬を食料にするつもりで持ち込んだ集団が日本人に勝ったって所もホルホル出来るポイントやね 軍から仕事で派遣されただけのイギリス隊と純粋に南極大好き集団が十数年準備して南極行っちゃったノルウェー隊のモチベの差や >>31
当時もノルウェー隊を腐しまくって心の安泰保ってた模様 引き返してるだけ偉いわ
スコットみたいに遭難死してる方がダメだろ イギリスグループは万が一ノルウェー隊が帰路で全滅したときのために一位はノルウェーでしたって証拠の手紙持ち帰ってるから偉いんだよな
ジャップなら燃やしてた この頃の日本人には引き返すという脳があっただけマシやと思うわ 後援会の横領ってどんな感じなんやろ
現代的には詐欺なり横領なりで訴えろやっ感じやけど白瀬は受け入れてたっぽいし >>50
これのちょっと前に八甲田山の大量遭難事件起こってるからってのもあると思う 当時の金額で4万円。白瀬中尉の伝記「まぼろしの大陸へ」(岩崎書店)を書いた池田まき子さんによると「今のお金で言えば約二億円にのぼる大金」だった。返済には誰も手を貸さず、白瀬中尉は終戦翌年の46年に85歳で亡くなるまで、貧しさにあえいだ。
理由は、当時の政府が極地探検に意味を認めなかったことによる。同時期に南極点を目指した英国のスコット隊は、国の援助を受けて約750トンの船で臨んだが、義援金頼みの白瀬隊は約200トンの小さな帆船に乗り込んだ。
やがて日本は、戦争に負けた。次女のタケコさんの証言によると、世間に忘れられ、愛知県豊田市の魚屋の2階に住んでいた白瀬中尉は、連合国軍総司令部(GHQ)のマッカーサー司令官に手紙を出して「南極の領土権はどうなるのでしょうか」と尋ねた。
届いた返事には「領土権は講和条約の結ばれる際にしかるべく考慮される」とあり、末尾には「プア(気の毒な)ミスターシラセ」という、いささか失礼な言葉があった。白瀬中尉はこの後、久々に配給があった白米を食べ、腸閉塞(へいそく)を起こして世を去った。
大和雪原の領有権は、日本がサンフランシスコ講和条約で放棄し、無効となった。また今日では、大和雪原は陸地ではなく海上の棚氷にあることが分かり、領有できないことが判明している。 同年7月5日、神田で南極探検発表演説会を開催した。当日中に南極探検後援会が組織され、幹事に三宅雪嶺、押川方義、桜井熊太郎、村上濁浪[注 4]、田中舎身、佐々木照山、会長には大隈重信が就任した。
(中略)
ここで、資金調達のために、書記長の多田と船長の野村が帰国したが、後援会内部では村上濁浪が会費を使い込んだという疑惑が起きて内紛が発生した。一方、シドニーで滞在していた本隊[注 6]でも内紛が発生しており、隊員による白瀬の毒殺未遂事件が起きた[23][注 7]。 政府「どうせ失敗するし金は出さん」
国民「白瀬がんばえー」
後援会「めっちゃ儲かって草。飲み会するで~」
>明治43年(1910年)、白瀬は南極探検の費用補助を帝国議会に建議した[注 3]。衆議院は満場一致で可決したものの、政府はその成功を危ぶみ3万円の補助金を支出しなかったため、渡航費用14万円は国民の義援金に頼ることとなった。政府の対応は冷淡であったが、国民は熱狂的に応援した >>51
調べたら大隈重信が会長やってたって事やしそういう事やろ
今と似たようなもんやな
自殺として処理されなかっただけマシや イギリスは何度もミス重ねてるのに軌道修正しないまま進んでの全滅やからなぁ
1着と研究資料の採取を諦めてれば生還できたはず >>62
大隈の地位に森喜朗が入ったようなもんか… 南極では馬が役立たずやって分かった初期のうちに馬を全頭放棄してれば生還できた説もある 無茶な計画立てて国民煽って金集めて冒険するってエベレストで死んだあの人みたいだね 雪上車は一応後の戦車の原型になったから無駄ではない 白瀬の人生が壮絶だったからこそ砕氷艦しらせとして艦名になっとるんやし今なお讃えられる英雄と言ってええやろ >>71
あれは冒険家ですらない
ただの嘘つきが登山家を名乗っただけ 白瀬人望なさすぎやんこんなんが南極観測船の名前でええんか >>77
人望がないというより公金にたかる連中が悪いだけや 受験勉強に例えるなら
🇳🇴→現役東大生の何人かに勉強の仕方を教わりつつ、模試の回数を重ねたりなど試験対策して東大に合格
🇬🇧→過去問解いたり家庭教師を付けるも、間違った勉強法で模試で苦戦。一浪して東大に合格
🇯🇵→予備校に通う金を使い込む。親と喧嘩して東大受験は諦める >>77
多田と白瀬はいがみ合ってたらしいが、
そもそも予算が少なくまともな航海すらできない中で
物資不足だと喚き散らしていた多田の方が頭おかしい
まともじゃないプロジェクトをやるときは
まともじゃない状態でしか進まないことをいい加減日本人は覚えろ >>81
イギリスは帰路で全滅してる時点で合格に例えるのはおかしくないか 白瀬の辞世の句らしい
「我れ無くも 必らず捜せ 南極の 地中の宝 世にいだすまで」
資源のない日本は南極の資源で
が将来かならず必要になると主張していたが、お前が考えることではないと笑われたという >>57
マッカーサーってこんな大人気ないやつやったんか
戦勝国の司令官なんてこんなもんか スコット隊遭難のWikipediaは読み応えあるぞ
最後の書き置きの絶望感すごい 「どうせ失敗して生きては帰ってこられんやろから飲み食いに使ったろ」の精神やぞ >>26
君らは南に行くんだから暑さ対策をちゃんとしなさいよめっちゃ偉い誰かに言われたんやなかったか >>81
なんで馬鹿って的はずれな例え話したがるんだろう 北極の原住民の集団を南極に送り込んだら生きていけるんかな QuizKnockの動画に白瀬矗の名前よく出てくるから聞いた事あったけど最後こんな可哀想な人やったんやな 日本隊はスキー板すら知らずイギリスとノルウェー隊見て「あいつらなんか変な板履いてるンゴwww」とかしてたからな >>98
南極は条約で(とりあえずしばらくは)どの国も領有できない事になってる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています