野村が晩年に暴露したところによると、野村のヤクルト監督時代には自分で食事の支払いをしたことがないほどケチで、選手たちからの人望もそのせいで著しく低かったといい、女性にも手が早かった。
野村は、古田ほど頭が良ければその自覚はないはずはないだろうが、古田はそれを気にしていなかったと感じていた。
現役捕手として成功した一方で監督として成功しなかったのはそうしたところからだろうと、野村は分析している[104]。