関係ないけど伊東勤の経歴やばすぎて草


熊本工業高校(定時制課程)に在籍。当初は外野手だったが、同学年で他校のライバルである藤村寿成(九州学院)の足を封じるために捕手に転向した。この藤村寿成の次男である藤村大介は熊本工の後輩にあたる。

3年次の1980年、全国高等学校野球選手権熊本大会決勝で秋山幸二をエースに擁した八代高校を破り、第62回全国高等学校野球選手権大会に出場。当時西武の監督を務めていた根本陸夫からその才能を見出され、4年次[注 1]の1981年に熊本工から埼玉県立所沢高等学校(定時制)へ転校、同時に西武球団職員として採用された。昼間は職員としての社務の傍ら練習生として活動し、夜は高校通学という生活を送った。これは根本が他球団に伊東を奪われまいとするための「囲い込み」であったと伝えられる。