巨人ならこれくらいしても警察沙汰にならんのやで

・1988年、原辰徳は芦屋・竹園旅館のアルバイト女性とねんごろになった。
・その女性はキタでホステスとなり、ホストクラブにはまり、借金苦に陥る。
・1995年、阪神大震災と前後するかたちで、女性は姿を消した。ただ女性は「克明な日記」を残した。
・日記は同居女性から人を介して「暴力団関係者」(Y)の手に渡った。
・日記はさらにその「舎弟」(H)の手元に行き着いた。
・Hは日記の内容を「元暴力団員」(K)に打ち明けた。Kは現役プロ野球選手の父親であった。ちなみにKの小指は欠損している。
・2006年8月、読売の監督である原辰徳はKからの電話を受け、遠征先の熊本のホテルでKとHと会う。
・Kは日記のコピーを見せて「表に出ないようにするから」と1億円を要求した。
・原は自分のマネージメント会社「エイトコーポレーション」の社員に指示して1億円を用意し、Kは金と引き替えに、その場で「日記」をシュレッダーにかけ、領収証を切った。
・2007年9月15日、札幌道でHの運転する車がスリップし、Hは死亡した。(事件性はなさそう)
 これで日記は闇に葬られたはずだった。
・2009年4月、読売の球団事務所はYからの電話を受ける。「原監督に渡っている、ある女性の日記を返してほしい」という要求であった。
 この段階で、球団は原の過去の経緯を知る。
 Yはその後も球団事務所、原の自宅、球場にまで押しかける。Yは金銭要求はせず、「Hが勝手に持ち出した日記を返してほしい」と要求を続ける。
・2009年12月1日、Yは(日記返還要求とは別の)威力業務妨害で逮捕され、懲役1年6ヶ月、執行猶予3年の有罪判決を受けた。公判では原のスキャンダルには一切触れられていない。
・Kは熱海にいるらしいが取材拒否。