【悲報】邪馬台国畿内説、完全終了まであと3日wwwwwwwwwwwwwwwwww
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ID:smpkhjLw0はどうも胡散臭いな
何がなんでも九州や!認めないやつは死ね!みたいにキレ散らかしとる
「高千穂」←地名が古文書と同じだから確定!
「高天原」←地名が古文書と同じだけど違う!
何言っとるのか意味わからん 出雲といえば四隅突出型墳丘墓がおもろいな
日本海側で大陸と交易してて一大勢力だったはずや >>733
変わらん以前に、なんでか邪馬台国については日本語読みを基準に考える人間が多いのがよくわからん
この単語の記述があるのは魏志倭人伝
つまり、中国語の発音が正しくてヤマタイコクというのはその後に日本人がこの漢字を日本語読みでそう読んだだけ
>>695でも指摘したがヅァーマードゥグォとかが恐らく発音として正しい
中国が独自の呼称を使っただけで、その後に日本人がそれを自分たち読みしてヤマトに繋げた可能性はあるが
もしも中国が聞いたまま邪馬とかつけたのであればヅァorゥーマーとかになるヤマトからは程遠い 魏人「お前らどこから来たんや」
和人「山たい(九州弁)」
↓
邪馬台国説 >>768
それ学会で発表でもしてきたら?
誰もお前みたいなキチガイの話信じないだろうけど もう邪馬台国は福岡のどっかにあったって話にすれば満足するんじゃん?
僻地の日本三代都市福岡様にさ >>775
四隅突出型墳丘墓圏は「安芸・石見・出雲・越」だから日本海の覇者やね >>771
だからあ~天孫降臨の前に高天原が出てくるわけでしょ?
つまり天孫降臨の前は奈良にいたわけでしょ?
ここまでお前自身が認めてることやん?
703 それでも動く名無し 2023/06/02(金) 03:51:25.88 ID:smpkhjLw0
>>697
そもそも高天原は天の上の「降臨する前の土地」であって
下りた場所じゃねえよ低学歴
記述でも筑紫の高千穂って書いてあるんだよ馬鹿はもう黙ってろ >>773
天孫降臨が宮崎だってのは筑紫の日向と明言してるんだから合ってるやんけ
それに関して異論を唱えてる奴なんかいねえよ
お前の方が意味わからんわ >>756
>>767
まあなんGやし話通じないことはあるわな >>782
だからね?「天孫降臨」自体は宮崎だって言ってんだよ?
馬鹿のお前は天孫降臨が奈良とかほざきよるけど
「天孫降臨」そのものの話は宮崎でありそれ以外の土地だったとは誰も言ってないしそんな珍説も
お前以外は唱えてない >>778
ほな整理するで
「高千穂」←天孫降臨で降り立った地。北九州。そう記されてるから間違いない
「高天原」←天孫降臨の前にいた地。奈良県。そう記されてるから間違いない
こうやな? 畿内説論者とかいう正岡民
九州説論者とかいう中馬民 >>779
まあありそうではある
ソース平家の末裔ワイ、手長足長高身長 >>784
古文書~とか言ってソース元も分かってないのがほんま頭痛いわ
こいつなんの知識で語ってんだ >>747
伊治公砦麻呂の反乱までは要は平将門の反乱と同じやねん
名前の残っとるエミシって○○公ばかりやから朝廷に属してたって考えたらわかりやすいかな
陸奥国官僚は○○公のエミシ姓を持つ人を蔑視してたから差別問題から砦麻呂が多賀城を燃やすまで至った
朝廷の人間が朝廷に反乱した=朝敵って扱いやから当初は律令に則って対応してたんよ
砦麻呂の反乱から阿弖流為殺すまでだけは一貫して○○公と書かずに夷賊って書いてるからここだけが征夷として扱ってた
阿弖流為も胆沢公やから朝廷側やったのが確定しとるし
そういう視点で見ると古代東北史の印象変わっておもろいで >>790
めっちゃキレてるキミが天皇が奈良にいたってことだけは必死に否定したいのはわかったで 邪馬臺(ja-ma-dəi)だろうから全然ヤマタイと読んでいいと思うで >>787
いつどこで誰が高天原が「奈良にあった」と「記してる」んだ?
奈良にあるという根拠を書物が記してるんだな?
高千穂は筑紫の日向(宮崎)であると風土記にも記されてるが
高天原は奈良にあったとどこの書物に書いてあるんだ? >>792
生半可な知識でわけわからんこと言いだすからだろ 弥生人や天皇が馬に乗る民族なら神話に馬が出てこないといけない
大国主は持ってる大きな袋は馬に乗せてる話しになってるわw
ところが
因幡の白兎の大国主は大きな袋を肩に担いて歩いてる
馬なんか居ない
弥生人は馬には乗らない民族
また、天皇家も馬には乗らない
神武天皇の話しでも馬が出てこない
神武天皇の絵は、必ず、鳥は連れてるが徒歩で歩いてる絵やw >>790
ソースは妄想やろ
5chのガイジによくあるパターンや >>781
国譲りはヤマトの征服戦争だって説もあるけど日本書紀で悪く書かれてるわけでもないしヤマトの元になった北九州の東遷に迎合したと思っとるわ >>795
佐賀県知事は有能やな
普通石棺墓でこんな大騒ぎにならんわ 道鏡といえば高校の時の日本史の先生が道鏡はちんぽがデカいってずっと言ってたな >>794
高千穂だと書かれててもその高千穂が今の高千穂と同じかどうかをどうやって調べるんや?
それなら高天原の地名が古くからある奈良県がまさに高天原やろ? >>804
何言ってんだ?
お前が「書物に書いてあったから事実」とかほざいてんだから
高天原が奈良であると書物に書いてあったソースをよこせよ
大体日向や高千穂が何処かもわかってないバカがなに偉そうにしてんだよ >>798
書かれてる地名が同じだからそうなんだ!
と言ったあとに
書かれてる地名が同じだけど違う!と言い出してるからガイジやねん 和気藹々しとったのに同族嫌悪みたいのが2人現れてメタクタ >>757
記紀神話と結びつけるとすれば
投馬国=高千穂=宮崎から東遷してヤマト王権=畿内になったあと
出雲や吉備に向かって勢力を拡大して狗奴国=熊襲=熊本を征伐するときに
邪馬台国含む連合国も征伐したか勢力下に置いたんちゃうかなって
報復するほどの記憶が残ってたかはわからんけど
どのみち熊襲征伐までのルート上に邪馬台国はあるわけやしね 隋書には倭の都の大和は魏志でいう邪馬台やでー書いてあるけど
絶対適当だよな中国が擬似の頃から日本の地理を把握してるわけがない >>809
サンガツ
でも違うんや
宮崎には鵜戸神社があってーみたいなやつ
20箇所くらいの地名のやつ >>475
あんなの佐賀県が言ってるだけやろ
副葬品的に糸島が帥升の故郷だと思うけどな >>813
どうせ伝聞やろうから細部は違うやろうし伝えたやつの主観もまじるやろうし >>817
銀座は日本中にあるよな
日本橋は関西にも関東にもある >>808
天孫降臨は筑紫の日向の高千穂、って旧国名で明記してあるんだぞ?
それに反論するなら奈良の旧国名である大和の地に高天原があったと
古事記でも日本書紀でもどこかに書いてなきゃおかしいだろ馬鹿
んで?どの書物が大和の高天原こそ神話の舞台であると記述してるん? 文字に関しては単語レベルで知ってる段階から文章レベルに移行するのに飛躍が必要だったからだろ
今だって日本人は英語を習うが、日常で英語を話したり、書いたりする段階まで行く人はほとんどいない
何かそれに似てると思う >>816
吉野ヶ里遺跡はなんなんやあれ
明らかに歴史の舞台になってないとおかしいくらい最新鋭やんあいつら >>821
大和の高天原やろ?
なんかおかしいんか? 吉野ヶ里が帥升とか正気か?北墳丘墓と糸島の三雲比べた時話にならんくらい糸島の方が豪華なもんでてるやろ
吉野ヶ里なんてハッキリ言って保存状態がいいだけの有象無象の拠点集落やわ >>821
ワイの調べる限りWikipediaでは一番上に奈良の高天がきてるからそれを元に研究されてる方かもしれんぞ >>826
だからそれが何処の書物に書いてあるんですか? >>820
貼ってくれてありがたいけど画像消えとるわ >>819
そりゃ銀貨作ってた銀座役所から転じた地名やし >>829
ヤマト(大和)が本国だから地域名を省略したとは考えられるよな? >>791
アテルイが朝廷側の人間だったって聞いたけどそういうことなんやね >>817
神話から学校名にしたんであって地名ちゃうやろ >>708
その説は当時の日本を大陸側は逆さに認識していた、ってのがあるから出た話よな
大陸は実際日本を逆さに認識していて
15世紀くらいまで、大陸が作る日本地図は逆さなんよな南北
それで計算するとマジで八幡平のあたりドンピシャになるんだよな
入れ墨をする人間、というのもアイヌ系列の縄文文化ではあるので、その点からもまぁ可能性としては実はあるっていうな
文字で歴史が残ってないのはホンマに困る >>830>>834
見苦しくて草
ソースもないのに奈良の高天原が神話の場所や!とか馬鹿じゃねえの?ほんまに
日向国風土記にちゃんとソース元は明記してあり地名まで書いてあるのに
そのレベルの反論すら出せないゴミクズ 授業で30ヶ国の連合だから国連みたいなもん言われてはえ~ってなったけど
そもそも当時の1国の広さがわからんわ
今の町村くらいか? ワイの先祖の作ってた荘園(稲毛荘)、無事地名だけ残るwww
地名だけ神奈川に残って先祖は四国に落ち延びましたとさ >>837
これって似てるのはいいとして
九州が近畿に影響受けてるとは考えられんのか? 糸島三雲甕棺墓
・銅剣 1・銅戈 1
・銅矛 2
・銅鏡(前漢鏡) 31面以上
・ガラス璧(瑠璃璧)破片 8個以上
・ガラス勾玉 3個
・ガラス管玉 60個以上
・金銅製四葉飾金具 8個以上
話にならんよな
吉野ヶ里風情が、紀元前一世紀から前漢王朝に直接朝献してた糸島を差し置いて倭国王名乗れるわけないわ >>837
これあれかな風水的なものでこの土地にこの名前の建物作りなさいそうすれば良い都市ができますみたいなんがあったのかな >>837
うおおお
サンガツ
これ興味深かったんや 弥生時代(邪馬台国卑弥呼の頃)
弥生人=長江文明人
馬に乗ってない(魏志倭人伝には馬は居ないと書かれる)
↓同じ民族
古墳時代(神武天皇の頃)
初期は馬に乗ってない、神話に馬が出てこない
須佐之男や大国主は馬に乗らない
神武天皇は馬には乗らない
↓
途中から百済などから馬を入手 >>843
吉野ヶ里遺跡はなにもんなんや
ただの有象無象いうには尖りすぎやろ >>844
それだとしたら他にも似たような地名立地の県が見つかる気がする 地名が似てるの、近畿の影響を九州が受けたとも考えられるやろ >>838
日本の地図も南北逆さだったな
だから南側が上に来て山陽
北側が下なので山陰 >>851
なるほど確かに
じゃあやっぱりどっちかがまねっこしたんやな やっぱわいらの先祖は兄さんなんやな
九州ナノも納得やわ >>844
どっちかというとその場所に住むことになった小集団が故郷の名前を新しく住む土地につけたんやないかと思ってるわ
北海道開拓のパターン >>839
ごめん、汚い言葉しか使えんならNGしとくわ
なんでそんなに興奮してるのか理解できん
控えめに言ってガイジや君 そもそも卑弥呼って何した人なん?
名前しか知らんワイにも分かるように説明してくれ >>852
ダブル首都だった可能性もあるかもしれん(ない) >>857
お前がガイジなトンチキ振りかざして平然とそれが定説であるかのように絡んでくるからだろうが
二度と絡んでくるなボケナスが >>842
京都の地名ってだいたい全国にあるもんね 別に吉野ヶ里尖ってないってのは昔から言われてきた事だと思うぞ
─
明治大学の、大塚初重教授(考古学)はのべる。
「私は吉野ヶ里遺跡が邪馬台国とは思わない。私の知るかぎり吉野ヶ里遺跡を邪馬台国と決 めつけた考古学者はひとりもいない。」
「簡単に吉野ヶ里を卑弥呼と結びつけて大騒ぎする論調は、中国や韓国の学界から見れば軽佻浮薄の日本と映じるのではあるまいか。」(以上、「吉野ヶ里の真相」『新潮45』1989 年6月号)
また、これもこの本におさめさせていただいた論考において、九州歴史資料館の高倉洋彰氏 (考古学)ものべている。
「この遺跡(吉野ヶ里遺跡)が直接に邪馬台国に関係するようなものではないことは、述べてきたところを斟酌(しんしゃく)していただければ、歴然としている。邪馬台国ブームに浮かれ、吉野ヶ里の正当な評価を怠ることは、この遺跡から予想をはるかに越える成果を導き出した調査員諸氏の学問的良心と熱意に対して、何よりも非礼であろう。」(「弥生時代のクニとオウ」 『季刊邪馬台国』39号)
さらに、北九州市立考古博物館の副館長の武末純一氏(考古学)も、つぎのようにのべている。
「吉野ヶ里は素晴らしい遺跡である。弥生時代に関するいろいろな新しい情報を提供してくれるし『ああそうだったのか』とはじめて納得のいく場面も少なくない。しかしながら、吉 野ヶ里遺跡を絶対化したり、『弥生時代像が大きく変わった』とか、短絡的に『邪馬台国は ここだ』とする一部の論調には、筆者は与(くみ)しない。」(「北九州吉野ヶ里の同時代史」『歴史 読本』1989年9月号)
https://yamataikokunokai.com/yasumoto/tyosyo51.htm >>859
エロい祈祷をしとったんやで
卑しい巫女や >>838
この説は読んでてそりゃ違うやろと思った点があったから面白い小話くらいに思ってるけど至ると到るの違いから魏の使者が邪馬台国には本当は行ってないとかははえ〜ってなったわ 吉野ヶ里の凄いところは復元費用やな
まだ日本の景気が良かったからバンバン大型建物とか再建して観光地になれた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています