別に吉野ヶ里尖ってないってのは昔から言われてきた事だと思うぞ

明治大学の、大塚初重教授(考古学)はのべる。
「私は吉野ヶ里遺跡が邪馬台国とは思わない。私の知るかぎり吉野ヶ里遺跡を邪馬台国と決 めつけた考古学者はひとりもいない。」
「簡単に吉野ヶ里を卑弥呼と結びつけて大騒ぎする論調は、中国や韓国の学界から見れば軽佻浮薄の日本と映じるのではあるまいか。」(以上、「吉野ヶ里の真相」『新潮45』1989 年6月号)

また、これもこの本におさめさせていただいた論考において、九州歴史資料館の高倉洋彰氏 (考古学)ものべている。
「この遺跡(吉野ヶ里遺跡)が直接に邪馬台国に関係するようなものではないことは、述べてきたところを斟酌(しんしゃく)していただければ、歴然としている。邪馬台国ブームに浮かれ、吉野ヶ里の正当な評価を怠ることは、この遺跡から予想をはるかに越える成果を導き出した調査員諸氏の学問的良心と熱意に対して、何よりも非礼であろう。」(「弥生時代のクニとオウ」 『季刊邪馬台国』39号)

さらに、北九州市立考古博物館の副館長の武末純一氏(考古学)も、つぎのようにのべている。
「吉野ヶ里は素晴らしい遺跡である。弥生時代に関するいろいろな新しい情報を提供してくれるし『ああそうだったのか』とはじめて納得のいく場面も少なくない。しかしながら、吉 野ヶ里遺跡を絶対化したり、『弥生時代像が大きく変わった』とか、短絡的に『邪馬台国は ここだ』とする一部の論調には、筆者は与(くみ)しない。」(「北九州吉野ヶ里の同時代史」『歴史 読本』1989年9月号)
https://yamataikokunokai.com/yasumoto/tyosyo51.htm