生まれ自体はアメリカだが、5歳で再渡米した時点では英会話ができず、野球を始めるようになってから英語やスペイン語を上達させていった[45]。日本語は20%、英語は80%話すことができると日本ハム入団会見時に話していた。また、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の代表に選ばれる機会があれば日本代表で出場したいと述べている[46]。

かつてサンディエゴ・パドレスに在籍した大塚晶文とはサンディエゴで同じ治療院に通った間柄で、両親共に面識がある[4]。

尊敬するイチローとは神戸で練習や食事を共にしたことがある[47]。イチローが引退した際には「The Players' Tribune」上で感謝の思いを綴った[48][45]。