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三浦建太郎は大島弓子で少年漫画の技法を勉強したらしい

「(『ベルセルク』は少女まんがだと言われても)じゃあそんなに意外ではない?」という私の質問に対し、三浦さんは「違和感はないですよ」と答え、「では藤本さんがおっしゃるのは、どういう意味で少女まんがなんでしょうか?」と問い返す。それに対して私が、「…まあ、一言で言うとすると、『魂の柔らかさ』みたいなものかなって」と答えているのである。

 
 実際、『ベルセルク』には、三浦建太郎の作品には、魂の柔らかさがある。そして三浦さん自身、コマ割りや描写など、少女マンガを徹底して勉強したと、このインタビューで語っている。とくに大島弓子。

「どのあたりが大島弓子とかありますか?」という私の質問に対し三浦さんは、今となっては記憶が定かではないが、と断った上で、「グリフィスの夢のシーンとか。夢のシーンはとくに多かったんじゃないかなあ」「主にはコマの流れ方とか、画面の作り方だと思う」「精神面の描き方とかは、影響されるというよりも、自然に中に入っちゃってます」と答えている。

 三浦さんが、感情の流れを描く少女マンガを意識的に勉強した背景には、高校時代、同じくマンガ家を目指す個性的な仲間たち(その中には、大親友で、今では同じ『ヤングアニマル』のトップ作家の一人となっている森恒二さんもいた)とのやり取りの中で、感受性的には自分がいちばん子供で、仲間より劣っている、というコンプレックスがあった。絵は仲間内でも突出して上手い。だが、感じ取る力が弱い。そう感じた三浦さんは、「友達と映画を見て、そいつが感動したとすると、その感動の感覚っていうのを説明してもらってた。ここがこう来て、この人間関係がこうだから、これはこう感動するんだよ、って。そういうのを半分あきれられながらも説明されて、ああ、なるほど、もう一回見てみようと」。その延長線上で、三浦さんは少女マンガを徹底して研究し、そこに描かれている感情の流れを自分のものにしていこうと志した。

 とくに前半の「蝕」のあとの「ロスト・チルドレン」編あたりまでの『ベルセルク』には、その野太くすべてをなぎ倒すような凄惨で残酷な息もつかせぬ剣戟の連続と並んで、チャイルド・アビューズを含む親との葛藤、「親に愛されなかった子ども」という設定、「運命の対」としてのグリフィスとの出会い、という少女マンガの王道とでもいうべき要素が散見される。その流れの中で、相手への警戒がしだいに緩んでいく過程、成長への焦り、憧れと裏切り、孤独と絶望......と、繊細な心の襞に分け入り、魂に刻まれるような深い感情の描写が圧倒的だ。とても若い頃、自分の感受性にコンプレックスを抱いていた人の作品とは思えない。三浦さんの言葉を借りれば、「それはどうも僕の一番苦手なところが、補強に補強を重ねたら、一番出っ張ったらしい」ということなのだろう。