市和歌山商(現市和歌山)時代までは投手や遊撃などの控え選手だった。知人だった同校監督に頼まれ、鈴木氏は益田を受け入れたが「その学年で12、13人くらい投手がいたんですけれど、もちろん一番下ですよね」と懐かしむ。さらに高校時代には心臓の病も見つかり、片方の目の視力が落ちたこともあり「内野を守って顔にでも当たったら危ないので投手をしておいたらというレベル。当時は試合で投げられる投手になるなんて思ってもいなかったので。ケガなく4年間過ごしてくれたらと」。1度だけ、京都で行った立命館大とのオープン戦後、不整脈で救急搬送されたこともあったと言う。


益田、心臓病を患った過去があった