>>551で鬼滅にはあってジョジョにはない要素の「成長譚としての出来」を語ろうか

1)成長譚としての出来
これは戦果がまるまる成長の証として分かるシステムともいえる。少し例に挙げる。

A)初めての十二鬼月、下弦の累
→勝利目前で敗北。柱に助けてもらう。柱は下弦をものともせず一撃
B)最初の上弦、猗窩座
→敗北。煉獄死亡。足手まとい
C)二番目の上弦、妓夫太郎&堕姫
→勝利。宇髄引退。相手の舐めプにより連携し倒す隙がうまれる
D)
・三番目の上弦、玉壺&半天狗
→勝利。鬼殺隊死亡者なし。討伐を柱から炭治郎単独で託される

鬼滅のバトルは多人数戦や乱戦があり、ジョジョは基本的に1on1、もしくはタッグバトル
そしてジョジョのバトルのキモは能力バトルに重きが置かれていて「いかにトンチ、イカサマで出し抜くか」がキモになってる

鬼滅は能力の相性や性質といったものは基本的に重要ではない
後述する他の要素のストーリーテリングとしての「強さの設定基準」(3)に基づき、「精神性と比喩表現」(2)を用いて「死生観:継承と受け継ぐもの」(4)が生まれた時に勝敗が決する。
バトルであって人間ドラマ。それが鬼滅の素晴らしいところ。

簡単に言えば、厳密に定められた強さのランキングを損なうことなくピンチの時に各キャラクターの背景が描かれて精神的な成長が生まれた時に勝敗がつく。